今更の話だが図書館無料貸本屋論について (7/18・19修正)

公立図書館から「無料貸本屋」「無料自習室」の機能を分離すべきだ - Zopeジャンキー日記
 少し古い話をしよう。1960年代まで日本の図書館は死んだ本の倉庫であって司書は倉庫の番人でしかなかった。利用者のことなんて考えていなかった時代だ。この時代、市民が利用するための図書館を望む声が図書館界でも高まり、1963年の『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート) や1970年の『市民の図書館』といった報告により、図書館サービスを充実させるための指針が形成されていった。ここで注意してほしいのは、前者が地域や企業といった集団に対するサービスを重視していたのに対して後者は個人への貸し出しを重視したことだ。現在まで尾を引く「無料貸本屋」なる批判の元となる図書館の姿勢は、『市民の図書館』に端を発する。
 1970年代以降、『市民の図書館』で掲げられた目標のうちかなり分かりやすい部分―貸出冊数を増やすこと―が公立図書館の目標となっていった。市民のためのサービスを行ってこなかった図書館が、市民のためのサービスを行うようになった結果、「市民の要求に応えること」が最優先目標となったのだ。現在でもそうだ。これに対する批判は当然あって、ある程度までやりつくされた議論である。以下、物凄く単純に説明する。


・『市民の図書館』の影響が色濃い世代・地域・集団にいる研究者・司書・市民団体は、貸出第一の理念から離れられない。
 2002年にNHKで「クローズアップ現代 ベストセラーをめぐる攻防〜作家vs図書館〜」が放送された。図書館がベストセラーの複本購入することについて各立場の人間に取材したものだ。この番組に対して町田市立図書館が見解を公開している。

NHK「クローズアップ現代」に対する図書館の見解
 これが貸出第一の図書館や研究者によくある考え方の一例だ。要するに市民の要求に応えることこそ図書館の役割だというのである。
 ちなみにここで批判されている糸賀雅児氏の「全国の図書館があれ程の冊数を買っているわけではない」というのは、ちゃんとした調査に基づくもので*1あてずっぽうで言っているわけではない。ちょっと話がはずれるが、今回の事件で公共図書館全般がああしたものだとする批判はある意味はずれている。そこを忘れないように。


貸本屋なんて成り立たんぞ
 ベストセラーを貸すなら民間にやらせろとか言ってるのはただの皮肉ならいいが、本気で言ってるとしたら頭がどうかしている。商売になるわけないだろう(商売になるならかつて存在した貸本屋が消えることはなかった)。「無料貸本屋」というのはあくまで図書館に対する蔑称、揶揄、皮肉として使われたものであってベストセラーを貸す「貸本屋」という業が成り立つということを意味してはいない。かつて図書館のベストセラー貸出に対して調査が行われたのは、それが民間の市場(書店や出版)に悪影響を及ぼすと心配されたからであって、貸本屋にやらせろと言うようなアホはいなかった。


・価値論/要求論くらい知っておけ
 この手の議論をする時に過去の議論を知らずに何か主張することほど愚かなことはない。図書館において市民の要求を第一に考えるか、それとも資料そのものの価値を重視して選書するかは当然議論がある。よくまとまっているものとしては安井一徳『図書館は本をどう選ぶか(図書館の現場 5)』(勁草書房)がある。安井氏が卒業論文として書いたものもこの問題を中心にしており、Webで読むことができるのでお勧め。
<論文>安井一徳著 「公共図書館における図書選択の理論的検討」
 この問題は、「図書館はどうあるべきか」さらには「行政が文化・社会教育においてどう活動すべきか」といった大きな背景とも絡む厄介なものである。だから数多の議論や事例があっても統一的な見解は生まれない。この問題に対して「図書館は〜して当然」というような主張をする人間がいたら、単に頭が固いのか、物知らずなだけだ。


・てめーのところの図書館の心配でもしていろ
 他所の図書館の心配をするより自分が利用している(そもそも収書方針一つ知らない奴が多いんじゃないのか?)図書館の実態を知れ。他人事のように他の図書館を批判するよりそのほうが地域や図書館や自身のためだ。

*1:後にまとめられた公立図書館貸出実態調査 2003 報 告書が詳しい