「妊婦を撃てば2人殺害」は、過去の実例がある

 http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090324/mds0903240752002-n1.htm
 イスラエル軍兵士が、アラブ人妊婦に銃の照準を合わせた絵に「1発で2人殺害」の文字を入れたTシャツや照準の中に少年の絵を描き「小さいほど難しい」と書かれたTシャツを着用していて問題視されるニュースが報じられた。


 日本のこの報道では詳しく報じていないが、この思考法は、スナイパー、狙撃兵に特有のものだ。
 海外の報道を見ると、このTシャツがスナイパー用のものであることが記されている。
 http://www.haaretz.com/hasen/spages/1072466.html
 報道ではジョークということになっているが、妊婦を射殺して2人分の記録とした例は、狙撃の歴史では事例がある。
 また、今回のような残酷なジョークが訓練で発揮された例もある。
 邦訳された本でも紹介された、わりと有名な例を紹介しよう。
 いかんせん冷酷な話なので、気分を害する人も多くいると思う。
 そもそも狙撃の本の中で、冷血な殺人者として活動しなければならないスナイパーのプレッシャーを紹介するための例、そして人間性を鈍らせた例なのだ。
 以下を読む人はその辺覚悟して読んでほしい。


 まずはベトナム戦争で最初に狙撃したのが妊婦であったアメリ海兵隊の斥侯狙撃兵のエピソード。

 初めて人を殺すというのは、最も忘れがたい経験だと思う。
 俺の場合、この先も決して忘れられないことは確かだ。
 「彼女」は18歳くらいで、M1カービンを携行していた。
 その時俺は、相手が「女」だとは知らなかった。
 そしてもちろん、妊娠していたことも知らなかった。
 (中略)
 射程はおよそ550mで、背中の下部から前へ抜けていた。
 死体とライフルが回収され、殺したことが確認された。
 歩兵達が「一発で二人しとめた」ことを正式に俺の手柄としてくれた。
 俺は太陽を見つめて気を静めた。


ピーター・ブルックスミス『狙撃手』(原書房、2000)中に引用されたRoy F. Chandler, Norman A. Chandler. Death From Afar Vol. IIからの抜粋。略は孫引き引用者による。

 次は同書から、イギリスの落下傘兵の訓練のエピソード。
 こちらの事例のほうが、イスラエルの例に近いものを感じる。

 平均的な落下傘兵は、普通の兵士と比べて少しばかり攻撃的で粗野なところがある。
 彼らのブラックユーモアの例を一つ挙げよう。
 我々はハイスにある作戦区域(北アイルランドの街並みを再現したもの)へ行った。
 各街路には動く標的があり、非常に簡単な赤と黒の標的から射撃練習を始めるのだが、その中の赤い標的が敵ということになっていた。
 段階的に練習できるようになっているので、最後には標的の違いを区別できるようになり、銃を持っていそうな人間を見分けられるようになるだろうというのである。
 我々の隊には二人組の狙撃手がいて、屋根で女と乳母車という標的を見下ろしていた。
 女の標的が撃たれ、その区域を担当している歩兵中隊の司令官はこう言った。
「さあて、これまたもう一人孤児ができると、北アイルランドの問題が一つ増えるってわけだ」
 それから、もう一発銃声がして、それが乳母車を貫いた。

 こうした冷酷さの例は、探せばもっとあるだろう(逆に残忍さについてのデマが流れた例もあるが)。
 狙撃手は、殺す相手の様子をまじまじと観察しているためにプレッシャーを受け、あるいは良心、人間性が鈍磨する。
 狙撃手のように人間を完全に標的とみなす行為を受け入れられる人間は、兵士の中でもそう多くはない。独特の素質が必要とされる。
 こうした行為は、敵どころか味方の兵士からも嫌悪されることがある。
 そもそも遠距離から特定の相手をあえて狙って殺すという行為自体、普通の兵士には嫌悪される傾向があるという。
 このため、一般に狙撃手は捕虜になると「特別な」扱いを受けるとされている…。