フィクションにおけるナイフ格闘のリアリティとリアル

肩の調子が悪くてトレーニングに行けないので時間ができた。
以前から書こうと思っていたフィクションのナイフ戦闘について、簡単な解説と現実の技術を取り入れる可能性を書いておこう。

戦闘シーンのナイフ

アニメやゲーム、漫画や小説と様々なフィクションでナイフが登場する。
しかし実際のナイフ格闘の技法が使われる事は少なく、リアリティを詰める方向性の作品でもなかなかちゃんとした技術は登場しない。理由は色々あるだろうが、他の格闘技・武術と比べて他の創作に登場する機会も現実の世界で見る機会も限られているからだろう。
単純に出番が少ないというのもあるかもしれない。また、フィクションにおけるナイフと言えばチンピラ、ゴロツキの武器か、兵士、殺し屋の武器であり、他の格闘技や武術のように丹念に技を描写するのに向いていないこともある。
しかし例えば兵士・元兵士、殺し屋といったプロフェッショナルの描写として、フィクション内のナイフ格闘にはまだまだ現実の技術から取り入れられる部分が多くあるのではないか―と思うのである。
以下、現実のナイフ格闘に存在する要素のうち、フィクションの世界では忘れられがちな要素について紹介してみる。

(1) 持ち手以外の手足

フィクションの世界で特に忘れられがちなこととして、ナイフの持ち手以外の手足の用法が挙げられる。現実には、実用されているナイフ格闘の技術の大半は、ナイフを持つ手以外の手足を攻撃・防御の手段として使っているのだが、フィクションでそういった運用に踏み込んだ作品は少ない。
ナイフだけを攻防に使う技術体系は少なく、大抵はナイフ以外の格闘技術と組み合わされて存在している。日本の昔の剣術が他の武器の技術や体術を含む総合的なものだったのと同じようなものだ。
例えば多くの軍隊格闘技のナイフ術はフィリピン武術が基礎になっているが、これは棒(スティック)や刀剣類のような武器格闘と素手の打撃・関節技などを総合した武術だ。軍隊格闘技でナイフ格闘を教えることは多くあるが、それも素手の格闘技術が組み合わされている。
こうした技術を背景に、現実のナイフ格闘ではナイフの持ち手以外の手足を攻防の中で使っている。例えば、右手のナイフで攻撃し、それと合わせて左手で相手の攻撃をさばく・相手の腕を抑える・相手の関節を極めるといった技法が多用される。左右の手に同時に違う動作をさせることは珍しくない。
ナイフ格闘の受け手は、むしろナイフにだけ集中するのは良くないことも多い。ナイフに気をとられて他の手足からの攻撃をあっさり受けることにつながるからだ。他の武道の経験者でもナイフ格闘のセミナーに来るとナイフにだけとらわれて動きが悪くなる人が結構いる。ナイフに対する恐怖の除去というのは、対ナイフ格闘の基本的なテーマと言っていいだろう。
こうしたナイフ以外の手足の用法は、関節技の攻防を描写しにくいのと同様になかなかフィクションでも描きにくい部分ではある。

(2) ナイフ格闘の手加減

ナイフというと切る・突くという用法しかないと考えている人は多いと思う。
しかし、実際のナイフ格闘の技術では手の延長として関節技の一環に使う、相手を制御するといった技術が存在する。例えば関節にナイフの刀身を当てて極める、ナイフを首に掛けて投げるといった技もある。あえてナイフを使う利点は、ピンポイントで硬い物体が人体に当たるため、より効果的に抑えられること、そしてナイフの分遠い対象まで捕捉する間合いが伸びることだ。刃の側面ではなく刃筋が相手に当たるようにすれば、関節や投げが決まらなくともダメージを与えられる。
ナイフを使うと必ず相手が傷つく・あるいは死ぬといった描写が必然のものになるため、フィクションで手加減を描写するのは難しい。しかしナイフを利用した関節技や投げ技といったものを織り込めば、傷をつけずに技術差を表現することも可能になるだろう。ナイフを使った関節技は、多くの場合刃が相手に当たるように当てて極めるが、わざと峰が当たるように極めれば傷をつけずに制圧することもできる(厳密に言うと動きの中である程度傷がつく可能性が高いが)。
また、ナイフのハンドルエンド(柄頭)を使った打撃や制圧技術もあり、こちらも手加減の描写に向いている。
前述の話のように対武器格闘に慣れていない人間が相手で技術差があると、ナイフを意識させるだけで相手の動きを制限できるので、素手で制圧するのも有効な方法だろう。

(3) ナイフ格闘の出自

上の話から漫画『MASTERキートン』で使われたイロコイ・インディアンのナイフ格闘のテクニックを思い出す人もいるかと思う。「自分の武器を十分、敵に印象づけた後、故意に武器を捨てることで、敵の攻撃パターンを操作することができる」というアレだ。ただし、この元ネタから本当にそういう技術の伝承があるのか調べたが私は裏が取れなかった。
それはさておき、自分や相手の技術の出自を語るというのは、ハッタリが効くのでフィクションでよく使われる(極端な例は男塾)。しかしナイフ格闘について言えば、違う国の技術であっても収斂進化か、はたまた真似をしたのか、同様の技法が含まれていることがあって判断が難しいことがある。
ナイフ格闘技の来歴についてのポイントには以下のようなものがある。ほとんど豆知識の類であまり役に立つ知識ではないかもしれない。


・歴史的にメジャーなものは、ヨーロッパの戦争・決闘用の技術と東南アジア(フィリピン、マレーシア、インドネシア)の総合武術の二種類。現在軍隊などで使われている技術はほとんどこの系譜の影響を受けている。この二系統は交流がないわけではなく、軍隊格闘技のような新興の技術体系の中でも混在している。
・日本では柔術、剣術などの古武術の流派に短刀を使うものがいくつもあるが、世界的にも日本国内でもマイナーである。短剣道という武道もあるが、これまたマイナーである。
・一国の軍隊で統一化したナイフ格闘の教育を行うとは限らない。高度なナイフ格闘訓練は特殊部隊など特定の任務につく人間に限られていることが多い。
・特殊部隊ではあらかじめ軍が用意したナイフ格闘訓練以外に外部から専門家を呼んだり、また個人やチーム単位で外部の道場で訓練を受けたりして技術を学ぶことがある。このため軍歴だけでは身につけた格闘技術を特定できるとは限らない。ただし、独裁国家など国の統制が強い国では軍隊以外でナイフ格闘を学ぶ機会は稀なので特定しやすいだろう。
・ナイフ格闘には諸流あって特定が難しいが、伝統的な流派ほど複雑・高度な技法を備えている(時に非現実的であると言われることも)。軍隊などではより単純化した技法や少ない手数の技法が好まれる傾向がある。また、同じ流派であっても民間人に教える場合は護身優先となり、兵士に教える場合には攻撃的になるなど、教育対象で訓練課程が変わることがある。

(4) 技の優劣

これはナイフの扱いに限った話ではないが、フィクションでは個々の攻防が孤立していて一連の攻防としての繋がりが切れていることがある。ナイフ格闘が優れた人というのは、流れるように無駄なく最適な技の連携を繰り出せる人なのだが、その辺を描写するのは難しい。こういった事情は他の武術にも言える。
また、映画などで主人公が素手、敵がナイフを持ち、敵が刺そうとするナイフの持ち手を主人公が必死に握って止めるという描写がよく登場する(ゲームではバイオハザード4にもあった)。追い詰められた緊迫感を演出できるシーンであるが、こういう状態に陥るのは攻める側であっても受ける側であっても訓練を受けた人間としては下策である。
力で押し合う膠着状態というのは、変化に対応できない危険な状態なのである。訓練を積んだ人間相手に力押しで対抗しようとすると、逆にその硬直や力を利用されて一方的にやられる可能性が高い。こういう状態に完全になる前に自他の力の流れやポジションを読み合い、優位な体勢に移行するのがベストだ。膠着状態がありえないということではなく、多くのナイフ格闘の技術体系では避けるべき状態とされているということである。


おまけで映画のナイフ格闘の具体例を紹介する