タクティカルナイフとチゼル・グラインド

数日前、とある場所でタクティカルナイフのチゼルグラインドについての話になった。
そこであがった疑問を踏まえ、タクティカルナイフとチゼルグラインドについての知識と自分の考えをまとめておく。
ナイフについてある程度知っている人には既知の話ばかりだと思う。

ナイフのグラインド

まず基本中の基本。ナイフのグラインドについて。
ナイフは板状の鋼材を切削して刃をつくっている。断面で見るとだんだん端にいくに従って鋭くなるように削られており、加工した断面がどう見えるか(=どのように加工されたか)によって次の図のように分けられる。
なお、加工されて斜めになった部分を「ベベル」といい、研削した加工を「グラインド」と呼ぶ*1

①ホロー・グラインド(hollow ground)
えぐるようにベベルを削り込んだ形状のもの。エッジ近くが薄く、鋭い刃となる。深く切り込むと、このベベル形状のせいで刃が止まる。
②フラット・グラインド(flat ground)
全体に平面になるように削られた形状のもの。この図のような場合、フルフラット・グラインドと呼ぶこともある。スイスアーミーナイフはこれ。
③セイバー・グラインド(saber ground)
途中からフラットに削られた形状のもの。これもベベルは平面なので、フラットグラインドと呼ばれることが多い。
④チゼル・グラインド(chisel ground)
片面だけベベルを削って刃にしたもの。チゼルは鑿(のみ)のこと。ゼロ・グラインド(zero ground)ともいう。
⑤コンベックス・グラインド(convex ground)
ふくらみをもたせるように削ったもの。蛤刃。強度がある反面、深く切り込むと抵抗が大きく、対象が押し割れやすい。


実際のナイフでは上記のグラインドに加えてエッジを研いで小刃をつけて切れるようにしているわけだが、単純化した図なのでそこまでは描かない。
こうしたグラインドは、それぞれのナイフの用途・用法によって変えられている。
なお、④のように片側だけ研削して刃を形成したものを片刃、①②③⑤のように両面を研削したものを両刃と呼ぶ。日本刀を片刃、西洋剣を両刃と呼ぶのとは言葉は同じでも意味が違うのでちょっと紛らわしい。

チゼル・グラインドの特長

今回の本題であるチゼル・グラインドは、木工などの工作用刃物に良く使われる加工でもある。
これは、切り出し小刀やナイフで鉛筆を削るといった経験をした人なら分かりやすいだろう。下の図のように刃が対象に当たるため、片刃のほうが刃を食い込ませやすく、両刃は刃が滑りやすい。チゼルグラインドは、逆側の傾きで刃を当てると扱いにくいため、利き手や用法によってどちら側に刃をつけるかが違う。

しかしチゼルグラインドは工作用ナイフに使われるだけではなく、ファイティングナイフやタクティカルナイフにも使われている。
代表的な例はPhill Hartsfieldだ。
 http://www.phillhartsfield.com/ Phill Hartsfield公式サイト(英語)
彼は日本の刀剣に影響を受けたナイフで知られ、多くのナイフをチゼルグラインドで作っている。彼のナイフは特殊部隊の隊員にも使われ、また彼のナイフの影響によってチゼル・グラインドのタクティカルフォールディングナイフも誕生した。
エマーソン・ナイブズのErnest EmersonはPhill Hartsfieldの影響でチゼル・グラインドのフォールディングナイフCQC-6を生み出し、その後多くのタクティカルナイフに影響を及ぼしている。
 CQC-6 - Wikipedia エマーソンCQC-6の画像と解説(英語)
こうした軍向けのナイフにチゼル・グラインドが用いられていることについて、船底についた物(フジツボとか)を落として爆発物の設置を容易にする作業用だとする説明がされることがある。だとしたら軍用ダイバーナイフにもっとそれらしいデザインのものがあっても良さそうなものだが。あるいはそういう用例もあるのかもしれないが、チゼルグラインドの特長は、削る作業に適しているというだけではない。


例として片刃が多い和包丁の研究を紹介する。下記リンクの論文は、片刃・両刃の包丁の違いについて研究したものだ。
CiNii 論文 -  鮮魚用刃物の切れ味計測のシステム開発
この論文は、片刃・両刃の包丁で擬似的に魚を切る測定装置を使い、それぞれの特性を定量的に分析している。
研究結果では片刃では垂直より水平方向の切断速度が極めて高く, 片刃は魚肉繊維の圧砕が少ない。このため刺身には片刃の包丁が適していると考えられる。
要するに片刃のほうが両刃と比べて弾力のある物体を引き切る作業に適している。これはチゼルグラインドのタクティカルナイフにも合致する可能性が高い。ただし、タクティカルナイフの場合はより多目的に使うことが想定されるし、ブレードの輪郭やグラインドも多様で包丁の両刃・片刃のような単純比較では済まないだろう。

可能性として

ここからの話は、自分の伝聞と経験に基づく仮説…というか推測で、定量的な分析を経た研究ではない。
チゼルグラインドのナイフは、対象に食い込みやすい一方で、刃に斜め方向の抵抗を受け、真っ直ぐ切り込みにくい。これはデメリットと考えられるが、メリットもあるのではないか―というのが私の推測だ。
バランスをとりにくい片寄った形状のナイフは、自然と食い込みやすい方向に刃が進んでいく。あるいはそうした刃から感じる抵抗を受け、手のほうで方向を補正しようとする。こうした動きが、刃を食い込ませやすい部位にナイフを進ませる働きもあるのではないだろうか。これはグラインドだけの問題ではなく、左右非対称のダブルエッジのファイティングナイフについても時折言われていることだ。もちろん刃が片寄りすぎると想定した部位に切り込めないわけで、こうした動きがあったとしてもメリットになるには限度があると思われる。


チゼルグラインドとは別に左右のグラインドが違う刃物も存在する。
日本刀にもそうした造りがある。片側が一般的な鎬造り(または平造り)、反対側が切刃造りになっている片切刃造りというものだ。これは短刀・脇差に見られ、近世の例では尾張の柳生連也斎が秦光代に作らせた脇差「鬼の包丁」が知られている。
純化すると下の図のようになっている(実際はもうちょっと複雑)。

片切刃造りも刃に特定方向の抵抗を受けさせ、刃の進む方向を補正する働きがあると考えられる。

*1:英語ではgrindとgroundは当然使い分けられているが、日本語では「グラインド」で統一されている。