第一次世界大戦と軍隊格闘技

第一次世界大戦は、それまでの戦争とは異なる戦術を生み出した。この変化は、白兵戦や徒手格闘といった軍隊格闘技にも影響を与えている。
今回は、第一次大戦前後の白兵戦における武器術も含めた軍隊格闘技、近接格闘の話を書いてみたい。

第一次大戦前・銃剣と軍刀

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、軍における格闘技というのは基本的に軽視されていた。
戦争はほとんど砲と銃で戦う時代であり、この時代の近接戦闘と言えば主に騎兵が使う軍刀(サーベル)と、歩兵がライフルに装着(着剣)して槍のように使う銃剣で戦うことだった。特に後者は、多くの歩兵が使うため訓練している軍が多かった。
例えばアメリカでは、1852年に米軍初の格闘マニュアル*1が公刊されているが、これはジョージ・マクレラン(wikipedia:ジョージ・マクラレン)がフランスの銃剣術マニュアルを翻訳したものだ。この時代の銃剣術は、フェンシングの技術の影響が色濃い。練習も試合もフェンシングに倣ったものだった。
一方、日本では1877年(明治10年)、陸軍戸山学校にフランスから体育教官としてデュクロー陸軍軍曹を招き、フェンシングと銃剣術が教えられた。やがて陸軍の軍制がドイツ式に変わったこともあってデュクローは帰国。1890年(明治23年)には戸山学校長・大久保春野大佐がフランス式剣術・銃剣術の廃止と日本式軍刀術銃剣術の制定を決定した。1894年(明治27年)には宝蔵院流佐分利流などの伝統的な槍術をもとにした日本独自の銃剣術が制定されている。

塹壕戦の武器

第一次世界大戦では、大規模な塹壕戦が繰り広げられた。塹壕内での極めて近い距離、狭い場所での戦闘が頻発したのだ。こうなるとショットガンや拳銃など近距離向きの銃器や手榴弾が有用だが、敵に悟られないように塹壕に侵入していくことも重要だったため、音を出さない白兵戦用の武器も重視された。そうした白兵戦で敵に対処するために防御側も同様の至近距離での戦闘技術が必要となった。このため各国で近接戦闘の工夫がされていった。既存の銃剣や軍刀も活用されたが、より近い距離で戦うために塹壕戦向けの新たな武器も使われている。斧やピック、モーニングスターなど中世さながらの武器まで使用例がある。いくつか塹壕戦で使われた白兵戦武器を挙げてみよう。

・トレンチナイフ

塹壕で戦うためのナイフとしてトレンチナイフがある。塹壕で戦うためにデザインされたトレンチナイフは、多くの場合刺突を重視した鋭いブレード形状で、手を守るナックルガードが備わっている。このナックルガードは相手を殴るのにも使われた。フレンチ・ネイルと呼ばれたフランス軍の簡易なトレンチナイフ(French Nail - Wikipedia)の他、ドイツ軍、イギリス軍、アメリカ軍などがそれぞれのトレンチナイフを採用している。
トレンチナイフは極めて近い距離での攻撃・防御のために逆手持ちで扱う事が多く、デザインも逆手持ちを前提としたものがあった。次の2つのナイフは、逆手に持った時に刃が自分の側を向くようにできている。
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30001204
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30003476

・トレンチ・クラブ

塹壕戦では棍棒も使われた。単純な木製の棒から、鉄製の鋲をつけたものまで、多様なトレンチ・クラブ(塹壕棍棒)が使われた。想像できない人は、ロンドンの帝国戦争博物館のコレクション画像を見てほしい→
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30003229
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30003261
http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30001725

・シャベル

塹壕用の工具、エントレンチング・ツール(entrenching tool, E-tool)であるシャベルは、ナイフや棍棒と違って元々塹壕で使われる装備品であり、手頃な武器としても使われた。特によく使われたのは多くの歩兵に支給されていた全長50cm程度の短いシャベルで、第一次大戦後も軍隊格闘技に残ったシャベル術では基本的にこのサイズの短いシャベルを使う。現代の米軍の格闘マニュアルにも同様のシャベルを使う格闘技術が残っている。

・ナックルダスター

メリケンサックという呼称のほうが知られているかもしれない。拳を保護するとともに攻撃力を高める金属製の武器である。これは大量に採用・使用された武器ではないが、接近戦用に使われた例がある。


こうした武器の多くは戦術の変化や近接戦闘技術の発達、近い距離での戦闘に適した銃器の発展と普及によって第二次大戦までに廃れていった。

軍隊格闘技の発展

塹壕戦によって近い距離で戦う武器術や格闘技術が求められるようになっていったのがこの時代の最大の特徴だ。そこで軍における訓練では近接戦闘のために既存の格闘技を取り入れるようになった。


動画:第一次大戦時期の米軍の格闘技訓練


銃剣術とボクシング

19世紀末〜20世紀初頭、フェンシングの影響が色濃い銃剣術は、ピストという試合場にあわせて練習されていた。しかし塹壕での混戦の中では縦横に動き回れることが重要で、フェンシングに基づく既存の銃剣術は改められていった。
こうした状況の中で英米を中心に広まっていったのがボクシングをベースとした銃剣術である。
背景には、安全を重視したクインズベリー・ルールに基づいた近代ボクシングが19世紀末〜20世紀初頭に発展・普及したことがあげられる。
第一次世界大戦以前、1908年にはイギリス軍のマルコム・フォックス大佐はボクシングの練習が銃剣術に応用できると主張している。こうした背景があって1910年代にはイギリス、アメリカ、カナダでプロボクサーをインストラクターに招くようになった。ボクシングは大勢の人間に効果的に練習させることができる格闘技だからである。当時の米軍でのボクシングについてはJNC: Boxing for Beginners: Jacombの記事が詳しい。
下の1940年代の動画はより分かりやすい。2:06以降がボクシングを基にした銃剣術を示している。

この時代のボクシングはあくまで銃剣術、武器術のためのものであり、素手で戦う時に使う技術ではない。

柔道と柔術

第一次大戦を境に軍隊格闘技の基として注目された格闘技の一つに日本の柔道や柔術がある。
柔道や柔術の海外への伝播はちょうど第一次世界大戦前であり、多くの柔道家柔術家が海外に渡って普及活動を行っている。特にアメリカでは第一次大戦前、柔術ブームとでも呼ぶべき現象が起きていた。しかし第一次大戦前の柔術ブームは日本への興味、東洋趣味や、身体運動文化の隆盛といった点での流行であり、軍や警察に向けたデモンストレーションや指導があってもそれは少数の例だった。
こうした状況は1910年代に変わっていく。
日本で自剛天真流柔術を学び柔術書を出したソーンベリーは、1917年から米軍兵士の養成所で延べ5,000人に柔術の指導をしている。その他にも、アラン・スミス中佐、ロイド・アイルランド、ジャック・レンツ、ジョン・J・オブライエン、日本人柔道家の羽石幸次郎など、各地の駐屯地や養成施設で柔道・柔術の大規模な指導が行われた。
中でも特筆すべきはソーンベリー同様に日本で自剛天真流を学んだジョン・J・オブライエンである。彼は全米で柔術のデモンストレーションを行い、1905年には"The Japanese secret science Jiu=Jitsu"をアメリカで出版した。オブライエンの活動は広範囲に渡り、サーカスのような娯楽から学校、スポーツ団体、警察にまで及ぶ。1902年にはルーズベルト大統領を指導し(後に講道館山下義韶ルーズベルトに教えたが、それより2年以上早い)、プロレスラーのジョージ・ボスナー、後に海兵隊の軍隊格闘技の指導を行うアンソニー・ビドルにも指導をしている。
ボスナーへの柔術指導は1905年、ボスナーと柔術家・東勝熊の試合対策として呼ばれたものだ。試合後もボスナーは柔術の練習を続け、後年は自身の運営するクラブで柔術の指導もしたという。東勝熊の逸話に関しては海を渡った柔術士、東勝熊 前編(1904年) | 拳の眼海を渡った柔術士、東勝熊 後編(1905年) | 拳の眼が詳しいが、私が情報源とした藪耕太郎(2012)とは若干情報に違いがある。
ビドルは日本人に柔術を学んだ後、オブライエンから指導を受けた。後に彼はボクシングや柔術等を組み合わせ、1918年から海兵隊員を訓練した。ビドルが1937年に出版した"Do or Die"は海兵隊の格闘技マニュアルである。こうした一連の実績からビドルは軍隊格闘技のパイオニアとして知られている。しかし彼の基礎がフェンシングだったためか、個人の資質によるものか、彼の軍隊格闘技は紳士の決闘のようなフェアプレーに基づいたものだという問題があった。第二次大戦中に連合軍の軍隊格闘技を指導し、その後の軍隊格闘技に大きな影響を与えたW.E.フェアバーンのナイフ術では敵の背後から襲う技術があるが、ビドルの指導にはそういった面はなかった。
なお、W.E.フェアバーンは1907年から上海自治警察に勤務する傍ら、柔術、柔道、中国武術を習い、警察で近接戦闘術を指導した。イギリス軍で指導するようになったのは1940年からである。フェアバーンの場合は都市での戦い、犯罪や暴動との戦闘であり、第一次大戦とはまた違った経験を踏まえている。


1910年代の軍隊格闘技における柔術・柔道の担い手は日本の柔道・柔術が海外で根付き、変容していった中で必要な部分だけ換骨奪胎され、根付いていったものと言える。ボクシングと柔道・柔術だけがこの時代の軍隊格闘技の基というわけではなく、レスリングも参考とされた。柔術・柔道の指導者にはレスリングを既に学んでいた人間もおり、グレコローマンもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンも参考にされ、中世のレスリングや民族格闘技を研究する例もあった。また、ナイフ格闘ではヨーロッパの剣術も参考にされた。

諸国の例

この時期の英米以外の国の軍隊格闘技の動向を書いてみよう。情報源に偏りがあるため、網羅はできていない。


日本では、1916年に陸軍幼年学校で軍刀術が採用された。また1919〜1920年頃には小太刀の剣術を基にして短剣術も制定された。銃剣術軍刀術短剣術というように、日本では白兵戦の武器術が中心で、徒手格闘についての動向は遅く、限定的であった(陸軍幼年学校での柔道・相撲など、身体鍛錬としての意味合いのものはあった)。陸軍中野学校柔術など、徒手格闘の研究・訓練はこれよりずっと後になって始まる。


イタリアでは第一次大戦中にエリート部隊アルディーティ隊で中世の剣術、武器術Fiore dei Liberi(戦いの華)を参考にしたダガー格闘術や徒手格闘術が訓練された。現代イタリアの格闘技Sistema SALはこの第一次大戦のイタリアの軍隊格闘技や伝統武術を基に武術研究者アントニオ・メレンドーニ教授が開発したものだ。


フランスでは、日本の柔道やフランスの格闘技サファーデ(サバット)を基にした格闘技が整備された。
1917年制定のフランス軍マニュアルより
Notice sur le corps à corps - France - 1917


ドイツでは1908年に早くも陸軍・海軍のトレーニングに柔道が取り入れられたことが報じられている。
http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=F20F1EFC3D5D16738DDDAA0994DA405B888CF1D3
これは実戦用というより一種の鍛錬、体育用。もともとドイツ軍は銃剣術も含めて軍で格闘技訓練を行うことに熱心ではなかった。それでも第一次大戦〜第二次大戦の間にはドイツでも親衛隊といったエリート部隊を中心にボクシングや柔道、レスリング等を基にした軍隊格闘技が整備された。



ロシアでは、第一次大戦後に軍での格闘技研究・訓練が盛んになった。1918年には赤軍の訓練所Vsevobuchや内務省・秘密警察の訓練組織ディナモが創設されている。日本で講道館柔道を学んだワシリー・オシェプコフは1920年代に軍や警察向けに柔道を指導し、ビクトル・スピリドノフは1923年からディナモ柔術レスリング等を基にした護身術を指導した。この1920年代の両者の研究や指導が後のサンボへとつながっていく。

まとめ

第一次世界大戦によって、民間での格闘技の動向と塹壕戦という二つの要因が重なって、近代化した軍の中での格闘技が注目された。海外に柔道・柔術が広まったのは日本人の活動によるものだが、第一次大戦前後には既にそれらを学んだ欧米人による活動へと切り替わっている時代であった。アジアの武術はオリエンタリズム、東洋の神秘、新奇な運動文化といった扱いから、欧米各国の現地にあわせたかたちで受容され、利用されるようになっていたと言える。
また、格闘技のスポーツ化・大衆化によって安全性、ルールが整備された時代に、そうした格闘技から今度は実戦的な要素が軍に取り入れられるようになった点も注目すべきだろう。ボクシング、レスリング、柔道がそうした例に当てはまる。また、日本の柔術や中世ヨーロッパの剣術など、当時既に時代遅れとみなされていた武術が近代の近接戦闘用のものとして研究され、その技が活用されるといった現象も起きている。
この時代の軍隊格闘技の最大の特長は、生まれた時代も国も異なる多様な来歴の格闘技から必要な技術や練習方法を取り出し、その時代の戦争にあわせた格闘技が作られたことである。こうした新旧・東西の格闘技の混合・再編成という方法は、後の時代の軍隊格闘技にも引き継がれていった。

参考文献・Webサイト

The Martial Chronicles: In the Trenches - Cageside Seats
JNC: Anthony J. Drexel Biddle, USMC CQB Pioneer: Svinth
THE HISTORY OF COMBATIVES
JNC: Some Background on Captain Allan Corstorphin Smith: Bowen
Journal of Non-lethal Combatives: Cpt. Smith, jujutsu 1
Military Unarmed Combat 1930 to 1975
http://www.gutterfighting.org/WWIcombatives.html

Anthony J. D. Biddle (1937). Do Or Die: A Supplementary Manual on Individual Combat. Marine Corps Association
William E. Fairbairn (1942). Get Tough. D. Appleton-Century Company
William L. Cassidy (1997). The Complete Book of Knife Fighting: The History of Knife Fighting Techniques and Development of Fighting Knives, Together With a Practical Method of Instruction. Paladin Press
Michael Fagnon(1995). SS Werwolf Combat Instruction Manual. Paladin Press
和良コウイチ(2010)『ロシアとサンボ : 国家権力に魅入られた格闘技秘史』(晋遊舎)
村上和巳, 若松和(2007)『自衛隊の最終兵器徒手格闘術&銃剣格闘術』(アリアドネ企画)
藪耕太郎(2012)「前世紀転換期から1930年代における柔術アメリカへの伝播回路 : 2名のアメリカ人による柔術の変容と継承に着目して.」『スポーツ史研究』 Vol.25(2012-03-31) pp.43-56. スポーツ史学会