武術のキャラクター性は使い手から逆算される

武術に関する情報流通とメディア・創作物について - 火薬と鋼の続き。

柳生の剣は一名『策謀の剣」といわれる。『天下第一の剣」の体面を維持するために、どんな策謀もいとわないからである。

    • これは伝奇小説らしい策謀家としての柳生宗矩のイメージを反映している。
    • 同じ小説の別な部分ではこういう説明もある。

元来、柳生の剣は攻めの剣である。息もつがせぬ攻撃に継ぐ攻撃で、敵を圧倒し去るのが本来の姿だった。

    • これは作中の攻撃的な柳生十兵衛のキャラクターにあわせて流派の特徴までそういう扱いにしてしまっている。
  • 日本のフィクションに登場する八極拳のイメージが李書文の逸話に引きずられているのも同じような例だ。
  • 「使い手」は個人とは限らない。組織・集団でも良い。
    • 例えば新撰組の活動や戦い方から逆算して天然理心流の特徴を考えている例をよくみる。天然理心流は道場剣法ではない実戦的剣術であるとか複数で一人にかかるとかいった説明はかつての天然理心流の実態よりも、むしろ新撰組のイメージである。
  • 使い手からの逆算による武術のイメージ醸成は、しばしば実態から離れた奇妙なものになる。元となった知識が創作に由来するものであったり間違っていたりする場合は尚更だ。
  • ところがこうして作られたキャラクター性は分かりやすく、人々に強い印象を与えるため、広がりやすく信じられやすい。
  • かくして武術のキャラクター性は現実を離れて一人歩きをしがちである。