映画『椿三十郎』と弧刀影裡流の真相

黒澤明の映画『椿三十郎』のラストで、椿三十郎三船敏郎)は室戸半兵衛(仲代達矢)を抜き打ちに斬る。
www.youtube.com
この殺陣は、殺陣師の久世竜(久世浩)が弧刀影裡流という居合術を元に考案したものとされている。
有名な映画の逸話として、多くのテレビ番組や雑誌記事、書籍でこの流派についての言及がある。
Wikipediaにも弧刀影裡流居合術についての項目が存在する。
ja.wikipedia.org
しかしこの弧刀影裡流、『椿三十郎』の殺陣以外で触れられることがなく、剣術流派としての実態が分からない。
フィクションにすら滅多に登場せず、漫画では荒仁/神田たけ志『料して候』の主人公・九鬼平三郎はその希少な使い手の例だ。



www.mangaz.com

この弧刀影裡流について情報を追ってみた。
情報を辿ると阿部嘉典『映画を愛した二人 黒沢明 三船敏郎』(報知新聞社, 1996年)がよく整理されている。
椿三十郎』について扱った部分に詳しく、それによると久世竜の話として以下の経緯が紹介されている。

「昔、『菊池千本槍』(大映・一九四二年)という映画の九州ロケに行った時、町道場があると聞いて殺陣のけいこに出かけた。初め道場破りと勘違いされ、老人にコテンパンに打ちのめされた。殺陣のけいこと分かってからは、独特の居合斬りを教えてくれた。それが弧刀影裡流です」と語っている。一体、誰が考案した流派なのか?
それに関して久世は「侍」(東宝三船プロ、一九六四年)の殺陣を担当した時にふれ、「この剣法は西南戦争(一八七七年)で活躍した九州出身の野瀬庄五郎が、実戦からわりだした迫真の剣法で、日本武道の型にはない大変貴重なもの」と説明している久世はこれに工夫をし、実戦向きの豪快な居合斬りを編み出した。
(中略)
久世の殺陣の基本は弧刀影裡流である。実際に久世が野瀬庄五郎から剣法を習ったのか弟子から習ったのかは分からないが、西南戦争で活躍した剣法が、現代のスクリーンで蘇ったことにロマンを感じざるをえない。

西南戦争で活躍した野瀬庄五郎が創始したという、弧刀影裡流についての説明でよく見る話は久世氏が語ったことだと分かる。
久世氏の話以外に弧刀影裡流や野瀬庄五郎に言及がある資料は確認できなかった。

さらに久世竜の情報を辿ると、この流派の来歴について全く違う話がある。
雑誌『小四教育技術』1971年5月号(24巻2号)掲載の久世竜の自伝記事「斬って斬られて39年」には以下のように書かれている。

殺陣はこうして複雑な仕事でありながら殺陣の流儀というものがない。私は自分なりの流儀を作らなければ、殺陣の個性がなくなると思ったので、流儀を作っている。その名称は弧刀影裡流という。

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000003-I6038530-00

以上の書籍や雑誌記事を検討すると、弧刀影裡流は殺陣として作られた流派であり、「西南戦争で活躍した九州出身の野瀬庄五郎が創始した実戦的な抜刀術」というのは作られた話だと考えたほうが良いだろう。