伊藤亜紗『体はゆく できるを科学する<テクノロジー×身体>』

伊藤亜紗『体はゆく できるを科学する<テクノロジー×身体>』(文藝春秋)を読んだ。
できなかったことができるようになるという技能習得のメカニズムや応用について、研究者・技術者に取材した本だ。
ちょっとシステマに関連しそうな内容も含んでいる。
特に気になった第1章と第2章についてちょっと紹介する。

目次
プロローグ 「できるようになる」の不思議
第1章 「こうすればうまくいく」の外に連れ出すテクノロジー―ピアニストのための外骨格 ピアニスト・ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー 古屋晋一(人生最高の演奏経験;ふだん降りてこない演奏を降ろすための「探索」 ほか)
第2章 あとは体が解いてくれる―桑田のピッチングフォーム解析 NTTコミュニケーション科学基礎研究所柏野多様脳特別研究室長 柏野牧夫(地下の野球練習場;桑田の投球フォームは毎回違う ほか)
第3章 リアルタイムのコーチング―自分をだます画像処理 東京工業大学情報理工学院教授 小池英樹(画像処理で技能獲得を支援;ボールカメラ ほか)
第4章 意識をオーバーライドするBMI―バーチャルしっぽの脳科学 慶應義塾大学理工学部教授 牛場潤一(工学と医学のあいだ;意識にのぼらない脳のメカニズム ほか)
第5章 セルフとアザーのグレーゾーン―体と体をつなぐ声 東京大学大学院情報学環教授 暦本純一(歌舞伎のイヤホンガイド;乗っ取られた人のやり甲斐:ジャックイン ほか)
エピローグ 能力主義から「できる」を取り戻す

第1章はピアノ演奏技術の獲得とそのための外骨格の話だ。
以下に動画があるが、このエクソスケルトンという装置をつけると演奏に優れた人の手指の動きを体験することができる。
www.youtube.com
このエクソスケルトンをつけて演奏を体験する意味は以下のように説明されている。

(前略)ある動作が無駄なくできるためには、自分が行おうとしている動作のイメージが明確になっている必要があります。他方で、一度も成功したことのない動作は、成功したことがない以上、動作のイメージがありません。できるためにはイメージが必要だけど、できないからイメージがない。「できない」→「できる」のジャンプを起こすためには、このパラドクスを超えて、「イメージがなかったけどできた」という偶然が成立する必要があります。
まさにこのジャンプを可能にするのが、エクソスケルトンです。古屋さんの仮説によれば、成功までの道筋の見当がつかないところに、エクソスケルトンがゴールを設定してくれる。エクソスケルトンは、意識と関係なく指を動かすことによって、意識することのできない動作、つまりイメージすることのできない領域へと、私たちの体を連れ出してくれます。そのことによって、自分ではできない動作のイメージを与えてくれるのです。

また、できなかったことに対してできる体験を通して目標となるイメージを得るだけでなく、既にイメージを持っている人の感覚トレーニングの意味もあるという。
ピアノについて習熟しているピアニストや音大生でもこのエクソスケルトンを使うと動きが軽くなる人が多く、その中には外した後もパフォーマンスが持続するケースもあったとされている。
ステマのパンチの練習で他の人に拳を主導してもらって打つ体験をするのも以上のようなエクソスケルトンの意味と似ている。

第2章は桑田真澄のピッチングフォームの解析に関する話だ。
解析した結果、投球フォームが毎回違っていたということがこの章のポイントである。
30回同じ条件で投げ、当人も同じフォームで投げているつもりなのにリリースポイントは水平方向で最大14cmも違っていたという。目の位置で見ると頭一つ分下がっている。しかしコントロールが悪いわけではなくキャッチャーが構えたところにボールは届いている。つまり「フォームは毎回かなり違うのに、結果はほぼ同じ」で「変化するフォームから、安定した結果を出している」。フォームがかっちりと固定されておらず、こうしたばらつきは「正解からの誤差」ではなく、そもそも「誤差を含んだ正解」なのではないかと説明されている。
実際の投球では様々な要因で変動するので、その変動に即興的に応答する能力も含めた「変動の中の再現性」が運動スキルなのではないかというのが同書の中での見解である。唯一絶対の投げ方に最適化されたピッチャーは、環境が変われば、投球も影響を受けて変わってしまう。重要なのは「パフォーマンスが毎回同じ」(機械的な再現性)ではなく、「結果を同じにするためにパフォーマンスを変える」(変動の中の再現性)なのだ。
これは、以前紹介したソ連の運動生理学者ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ベルンシュタインの「巧みさ(デクステリティ)」に通じる。
machida77.hatenadiary.jp