システマが登場する医療小説・南杏子『ディア・ペイシェント』

ディア・ペイシェント

ディア・ペイシェント

ロシア武術システマが登場する小説というと、どうして格闘・アクションがある小説に偏りがちだ。
しかし今回紹介する『ディア・ペイシェント』は格闘ではなく、趣味としてシステマを稽古する主人公が登場する。
本作の著者・南杏子氏は医師としての経験を生かして医療小説を書いている。
参考:「小説でも現実でも、在宅介護は大変」医師&看護師作家の告白(南杏子,小原周子) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)
南杏子氏がシステマ東京の北川貴英インストラクターが講師を務めるカルチャースクールの教室でシステマを受講していたのは知る人ぞ知る話である。医療だけでなくシステマについても経験者ならではの具体的な体験を元に書いているのだ。
本作『ディア・ペイシェント』は民間の総合病院で患者のクレームやモンスター患者に悩む内科医・真野千晶を主人公とした小説である。
作者の経験と知識から、病院の内情、治療や薬などの専門知識が分かりやすく話に盛り込まれている。
そして千晶に関わる患者の行動の背景を巡る部分は、ミステリー小説のような面白さがある。
主人公の千晶は護身目的ではなく運動不足解消のためにシステマを始めたとあり、作中に何度もシステマの練習の話が登場する。
一部引用してみよう。
最初にシステマが登場する箇所、システマをやっている経緯とリラックスする方法をそこから得たという部分から。
バースト・ブリージングやシステマの概略の説明が含まれている。

ステマ独特の、呼気を刺激する呼吸法(ブリージング)がある。鼻から息を吸い、口から「フッ」と吐く。これを一分間に百回くらいの速度でフッフッフッと繰り返す。
スピードの目安は、「地上の星」や「アンパンマンのマーチ」、あるいは「ステイン・アライヴ」だ。関係ないが、心臓マッサージのスピードと一致する。
この方法で呼吸することによって気持ちが落ち着き、縫合時に手が震えなくなった。以来、システマが好きになった。
「システマは、安全にお家に帰るための武術だよ」
千晶は、講師の吉良大輔(きらだいすけ)からそう教わった。闘いを主目的とせず、相手の攻撃から身を守る護身術のような武術である、と。システマはロシア語で「仕組み」を意味する。心身の仕組みから集団心理まで、さまざまな人の動きに関するメカニズムを解明し、身の安全のために活用する方法だという。
だがそもそもは、旧ソ連の特殊部隊(スペツナズ)から伝わった武術らしい。工作員たちの間で秘密裏に受け継がれていた教えが、ソ連の崩壊で世界に広まるようになったという。吉良講師は、素人を怖がらせないようにオブラートに包んで説明してくれたのだろう。
ステマの呼吸法で平常心を取り戻す。恐怖心や緊張、焦りを取り除き、よいパフォーマンスができるような状態を作る。その精神性も千晶は気に入っていた。
仕事が忙しくて何度も教室を休みながら、それでもやめずにいる。その理由は、講師がイケメンだからだけではなく、素の自分に戻れるからでもあった。教室では、自分が医師であることは話していない。自意識過剰かもしれないが、その方が自然でいられて楽なのだ。

この部分以外にも本作にはシステマの具体的な練習の話が複数回出てくる。
いずれも練習風景や体験の話で、「システマはどのような練習をして練習者はどのように考えているか」を知ることができる。格闘中心の小説ではなかなか分からないシステマの一側面について、主人公の体験や医師としての仕事と絡めて描写している。この小説からシステマの練習の知識を得る人も結構出てくるのではないだろうか。