『新陰流 小笠原長治』の二方棍

今日、Twitterで「八寸の延金」の話題が出た。
「八寸の延金(延矩)」は、真新陰流剣術の開祖・小笠原長治が編み出したとされる技術だ。
明で張良の子孫から矛術を学び、そこから生まれたという逸話があるが、どのような技か現在では明らかではない。
このためどのようなものだったかについていくつかの推測、想像が存在する。
中でも一際異彩を放つのは、津本陽の小説に登場した描写だ。

この小説で終盤、小笠原長治は琉球に渡り、そこで明の武芸を使う商人と交流することになる。
明の様々な武器と自分の剣術で立ち合い優勢に戦うのだが、その中で商人の娘が使う二方棍という武器になすすべもなく敗れてしまう。
二方棍がどのような武器か、説明している部分を引用しよう。

はじめて見る二方棍は、片手で楽に握れる太さの、二尺五寸の棒のさきに、二寸ほどの鎖で八寸の鋼の板をつないだものであった。
棒は細いが軟鉄を巻いた頑丈なこしらえである。鋼の板は幅二寸で、研ぎすました両刃がついている。

この小説によると、この武器を左上から右下へ、右上から左下へと交互に振り回すのが基本的なスタイルである。
立ち合いで信治は木刀を使い、娘は鋼板の部分に布を巻いた二方棍を使った。
棒から遅れて板が飛んでくる対処の難しさ、振り回す板の威力が強いこと、そして間合いによっては鎖に巻き込まれるといった特性から小笠原長治は一刀でも二刀でも二方棍に勝てない。
そして長治はこの二方棍の術を娘から学び、後に江戸に出て奥山流剣術を教えるかたわら、「八寸の延矩」と称して二方棍の法をも伝授したという話になっている。
さて、この二方棍という武器は私の知っている範囲では確認できず、実在するのかどうか疑問である。
小説の中ではこの二方棍が出る前に信治が双節棍や千鳥鉄に苦戦するエピソードがあるので、そういった実在武器からの着想かもしれない。
それにしても一体どうして八寸の延金がこういう特殊な武器術だという発想に至ったのかは謎だ。