図書館と世界人権宣言フィルム

国連は世界平和のための誤った解決:国連は共産党が計画したもの - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
 歴史修正主義者の司教の破門撤回ニュースと同時に「国連は共産党の計画」というこの物凄い陰謀論が話題だ。
はてなブックマーク - 国連は世界平和のための誤った解決:国連は共産党が計画したもの - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた話題というほどでもないかな…
 これと似て、かつてアメリカでかなり関係なさそうなものまで共産主義の陰謀とされた時代がある。
 アメリカのマッカーシズム全盛期のことだ。
 今回はマッカーシズム下の検閲の有名な事件を紹介する。

マッカーシズムと図書館

 1950年代、アメリカの大学図書館学校図書館公共図書館で反共の嵐が吹き荒れた。何しろこの時代、愛国団体はアインシュタインの『相対論の意味』もトーマス・マンの『魔の山』も「赤い本」「非アメリカ的」という理由で、ラベリング(非アメリカ的であることを示すラベルを貼付すること)を求めたのだ。
 さすがにラベリング運動は図書館や市民の反対で失敗したが、他にも共産主義的だとみなされた図書館資料や図書館職員への攻撃が盛んだった。
 アメリカ図書館協会ALAの知的自由委員会の報告によると、1953年にはアメリカの公共図書館学校図書館でこうした愛国主義に基づいた圧力の事例は100件にのぼったという。

ペオリア市立図書館フィルム事件(1)

 愛国主義の立場から図書館に圧力をかける団体の一つに在郷軍人会のAmerican Legionがある。
 1950年、同組織の支部がペオリア市立図書館で貸し出している三つのフィルムに抗議した。
 三つのフィルムとは


『人類愛』(The Brotherhood of Man):人種問題を扱った映画。
『境界線』(Boundary Lines):個人や国を分断する境界線の消滅を訴えた映画。
ソビエトの人々』(People of the USSR):ソビエト旅行フィルム。


 この3本である。
 抗議に対してペオリア市立図書館理事会は3本のフィルムは破壊的な内容ではないとし、貸し出しを継続した。
 同年に『ソビエトの人々』は内容が時代遅れであるため*1除架したが、他は継続した。

その結果

 ペオリア市立図書館の対応を地元紙Peoria Starは批判している。
 American LegionやPeoria Starの主張を整理すると共産主義の情宣に対する政治的テストを行わないとフィルムの評価は意味がないということになる。
 しかしALAやペオリア市立図書館の評価基準では内容の確実性や重要性、時機性、技術や地域での有用性こそが重要で、政治的テストは基準とならない。
 最終的に同図書館では同年9月には問題のフィルムを館内利用に制限せざるをえなくなった。
 この結果を受けて、それまで図書だけを対象にしていた「図書館の権利宣言」はフィルムを含む全ての資料を対象としたものであるのと脚注を加えることとなった。
 やがて1967年の改訂でこの脚注は本文に組み込まれた。

ペオリア市立図書館フィルム事件(2)

 翌1951年11月、Peoria Star紙はペオリア市立図書館が購入したフィルム『人権』(Of Human Rights)が巧妙な共産主義の情宣であるとの論説を複数回掲載した。
 問題となった『人権』は、国連が世界人権宣言を周知させるために作成したフィルムである。
 同紙の記事を整理すると以下のようになる。


(1)American Regionの支部が招聘した研究者が『人権』を共産主義の情宣だとした。
 この目的は巧妙に隠されており、大半の人間は気付かないし、指摘されても否定する。しかし共産主義の情宣に精通した一部の人間は深い目的に気付く。
(2)昨年問題になったフィルムとの対比で、『人権』を情宣だと思わない人が多いだろう。しかしそれこそが目的をたくみに隠した情宣であることを示す。
(3)ペオリア市立図書館は破壊的な情宣のフィルムを提供すべきではない。
 図書館理事会は、フィルムについて専門家による評価を得るべきである。
 ALAは昨年問題になった共産主義的な資料を認めたので協力を求めるべきではない。
 また、図書館館長は昨年の問題が起きた数ヶ月後に『人権』を購入しており、偶然の一致ではないと思われる。


 こうした新聞論説の後、検閲に反対する図書館長と検閲を受け入れようとする図書館理事会の対立も激化した。また、この動きは公共図書館の視聴覚資料への検閲全般に対する議論として全米に広まっていった。

決着

 この議論は議会図書館や他の新聞も巻き込み、多くの議論を呼んだが、最終的に同図書館でフィルムにラベリングや貸出制限は行わないことになった。
 ただし、妥協策として社会的・政治的に判断が分かれそうな視聴覚資料を興味がある団体に見せてコメントをファイルし、利用者にそのファイルの存在を知らせるようにした。
 なお、その後図書館理事会もAmerican Regionの関係者も当のフィルムを見ていないことが明らかになっている。
 この事件は検閲事件の典型的なパターンを示している。
 まず検閲を希望する人間は、図書館が資料の内容を「是認している」と認識する*2
 次に、検閲者は問題となる資料をちゃんと見ていない。
 そして、検閲者は自分たちが道徳と正義の守護者だと考える。
 以上のパターンはその後も多くの事例で見受けられる。
 しかし発端となった国連や世界人権宣言に対する特殊なイメージは、この時代ならではの産物と言えるだろう。
 当時、国連の活動は一部宗教関係者や愛国者、保守層にとっては世界統一政府を作ろうとする共産主義者の陰謀だったのである。
 似たような例として同時期にはユネスコや国連について教える学校教師への攻撃があった*3
 さすがに現在では国連=共産主義者の陰謀を信じる人間は少なくなっているが、いまだにそういう人間はいる。

*1:1947年に同フィルムはALAの推薦フィルムリストに掲載されていたが1950年にリストからはずれた。政治的理由ではなく、質が劣り、時代遅れになったためである。

*2:図書館は、例え本当に共産主義の情宣のための資料だろうと提供するのだが、「図書館が資料を肯定する」と捉える人間はそうした図書館の考えを理解しない。

*3:全米教育協会NEDの機関紙NEAジャーナルは、1952年1月号でユネスコや国連について教える教師への攻撃があることを非難する記事を掲載している。