助産師と代替医療

事件

ビタミンK不投与で乳児死亡…母親が助産師提訴 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100709-OYT1T00173.htm
この事件が話題になっている。
というのもこの助産師が生後間もない女児に必要なビタミンK(K2シロップ)を与えず、代わりに与えたのがホメオパシーの治療薬だからだ。
ホメオパシーというのは、知らない人はまったく知らないだろうが世界規模で広まっている有名な代替医療である。
ホメオパシーの基本は、病気・症状の原因となる物質を極端に希釈したものを与えることで治療できるというもので、しかも元の物質が一分子も残らないくらい薄めたものを与える。ホメオパシー治療の専門家をホメオパスと言い、日本にもいくつかホメオパスの団体が存在する。
ホメオパシーの信憑性は低く、科学的な裏づけもないが、現代医学に不信感を持つ人々、自然志向の人々に受け入れられ、同時に健康被害の事例も発生している。ホメオパスホメオパシー団体には現代医学に否定的な例が多く、ワクチン接種の拒絶や通常医療の拒否を推奨していることがある。
このため海外では感染症や乳幼児の治療などで問題が起きた例があり、日本でのホメオパシーの広がりも医療ネグレクト等の問題につながるのではないかと危惧されていた。今回の事件も含め、ホメオパシーに関する問題はホメオパシー - Skeptic's Wikiが詳しい。
ホメオパシーは以前から助産院で使われ、助産雑誌でもホメオパシー団体の広告が載り、助産師の団体の研修でホメオパスが呼ばれるなど組織的な関わりがある。
なぜあんな信憑性の低い治療法を扱う助産師がいるのか?
助産学科のある学校の図書館で働いた経験と知識から、その背景を論じてみよう。

背景

今回の事件にはいくつかもの側面がある。
ここで取り上げるのは、ホメオパシーのような代替医療助産師の関わりについての話だ。
日本では戦後、自宅での出産から医療施設での出産へとシフトしていった。高度経済成長下では欧米のように豊かな生活の一環として医療機関における出産は受容されていった。苦痛や身体のコントロールといった側面も女性に評価された。
しかし高度に医療化した出産というのは、必ずしも全面的に受け入れられたわけではない。産科医療の技術の何割かは医療従事者の作業のしやすさ、病院側の都合の良さのためでもあったからだ。
1970〜80年代には日本でも欧米の影響を受けた女性運動が展開され、その中で出産の医療化は、医療による女性の身体や自己決定権への抑圧として批判された。こうした出産の医療化批判は助産婦を中心として展開されていった。この時代に欧米からラマーズ法やアクティブ・バースといった出産技術が導入され、病院ではなく助産院で出産すること、医療行為の介入がない自然分娩(natural birth)が主張されていった。
この頃に「医療化した不自然な出産=病院による出産」「女性の主体的、自然な出産=助産院」という構図が確定したのである。助産院は、通常の産科ではフォローできない出産の希望を満たし、「自然な出産」へと導く施設となった。
これは以前フードファディズムの基本形は変わらない。『食と栄養の文化人類学』 - 火薬と鋼で紹介した民間食養の問題と相似している。医師に対する不信感、感性的充足のニーズ、現代生活の人工性への反発といった要素は、こうした出産の脱医療化にも通じる。そして、問題点もよく似ている。
出産に対して自己決定権を持つためには、そのための十分な知識、情報がなければならない。自己決定権=自己決定能力ではないのだ。特に出産に関しては危険を伴うのだが、出産の医療化に伴って安全な出産が増え、危険性が忘れられがちだという問題がある。
だが、脱医療化の中で推奨されてきた民間療法や食事療法には、自らの価値を高めるために通常医療を否定し、あるいは代替療法が医療に完全に取って替われる安全・自然なものであるかのように宣伝していることがある。実際にはそこまでの裏づけがないにも関わらず。
こうした背景に加え、出産というのは介助者を必要とし、しかも介助者と出産当事者の関係も知識も非対称である。主体的な出産を希望していたはずが、助産師の(あるいは代替医療の)望む出産という選択肢に組み込まれ、しかもそのリスクや問題点が伝えられないという構図まで生まれたのである。
少子化の時代になり、こうした状況はさらに別の様相を呈してきた。妊娠・出産は、一生のうち極めて発生回数の少ない、人生のあり方を左右する一大イベントと化した。めったにない特別なイベントだからこそライフスタイルに合わせた特別なサービス、付加価値を加えるようなサービスを選択したいという希望が増えた。病院による出産でもかつての医療従事者の都合による画一的な出産ではなく、多様なサービスが行われるようになった。
現在の助産院による出産は、こうした特別なサービスの付加価値として「自然」を売りにしているところがある(もちろん先述した脱医療化も背景として残っている)。だが、付加価値としての「自然」という要素の価値を高めようとすることは、場合によっては通常医療を否定する主張・行為を取り込むことをも意味している。
助産師教育の場では、だからこそ通常の医学・医療を重視し、安全性を守ることを教えている。しかし助産師の中には通常医療に反する代替医療の主張にすっかり染まってしまう人々がいる。いや、これは助産師個人の問題に留まらず助産師団体など組織レベルでも起きている問題だ。
今回の事件を契機に、代替医療、特にホメオパシーのように危険を伴い、通常医療を否定する代替医療の問題点が広く認識され、付き合い方が再考されることを望んでやまない。

参考文献

吉村典子編『講座人間と環境 第5巻 出産前後の環境 : からだ・文化・近代医療』(昭和堂, 1999)