幕末の剣術修行者の実像が伺える『剣術修行の旅日記』

時代小説などのフィクションでは、武者修行で他流の道場を廻る武士というと、名誉をかけた真剣勝負を行うような印象がある。しかし、実際の修行者の姿はそれほど殺伐としたものではなかったようだ。
『剣術修行の旅日記 佐賀藩葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む』は幕末の剣術修行者の日記を基に、当時の武士の生活や剣術稽古の解説を織り交ぜて剣術修行者の姿を明らかにした本だ。そこにある剣術修行は、和やかな交流が多くスポーツのようだ。
同書の元になった『諸国廻歴日録』を書いたのは佐賀藩士牟田文之助。牟田文之助は23歳で鉄人流という二刀流の免許皆伝を授けられた剣士である。嘉永六年(1853)に24歳の文之助は藩から許可を得て、2年間にわたる武者修行の旅に出た。『諸国廻歴日録』はその旅の様子、諸国の道場との稽古や交流について記録した日記である。
本書では日記から数多くの試合の様子が紹介されているが、試合といっても何人も同時に行う一種の稽古のことで、審判役を置いての勝負といった様子のものはない。だから勝ち負けは「八二で自分が勝っていた」といった脳内判断になっている。他流の修行者に対する態度もまちまちで、文之助の二刀に興味を持って稽古を申し込むものや逆に避けるものなど実に多彩だ。中には米屋の息子で評判を聞いて稽古を申し込んでくるものもおり、当時の剣術が武士だけのものではなかったことが分かる。
文之助が修行に出た時代は江戸の三大道場―千葉周作玄武館斎藤弥九郎練兵館桃井春蔵士学館―が盛んで、その各道場での試合や評価がある点も面白い。もちろん有名な直心影流の男谷精一郎(当時57歳)とも立ち会っている。この時代の剣豪や小説に興味がある人にはお勧めの本だ。一方、剣術の解説書ではないため、剣術について技術的な説明や具体的な描写はない。当時の技術そのものに興味がある人には、その点は残念なことかもしれない。
文之助の人柄は快活で、旅の中多くの人と交流し、仲良くなっている。また、酒豪であるためか酒宴の話が多い。それだけに試合以外のエピソードも豊富で、読み物としても楽しめる。