Twitterでの話題に反応。
前ははてなダイアリーからTwitterのアカウントにコールできたが、今はできないので不便だ。
ややまとめにくいので、ちていのき(@baritsu)さんの最後のほうのtweetだけ引用する。
数日のTL見てて改めて思うのは、古流の乱取が寝技って認識はどっから来たんだと…。講道館以前に抑込、逆、絞はあったし乱取で使ってた流派もあるようだが乱取が専ら寝技という印象はあんま無いし。やっぱり明治以降に田辺に代表される数名の上手が出て、これが半田などを通じて確立したとしか
— ちていのき (@baritsu) 2016年4月8日
古流柔術が寝技に優れているとか、寝技の乱取りを重視したようなイメージが一部で広まっている。
このイメージだが、以下のような経緯で浸透したのではないだろうか。
- まず、寝技に長けた高専柔道という事実がある。そこには柔術修行者の指導や工夫があり、柔術が柔道より寝技に優れているイメージが生まれた。
- そして明治時代の講道館柔道対柔術は、立ち技・投げ技の講道館対寝技・固め技の柔術という構図で語られることがある。
- これは明治の古流柔術について磯貝一が語った内容からも伺える。
明治十五年以前は起倒流、天神真楊流、戸塚派楊心流、関口流、竹内流、 竹内三統流、良移心頭流等のいわゆる古流が行われていた。磯貝十段は「この頃の技は殆ど寝技に限られ、立技では、僅かに千葉の戸塚派楊心流が大外刈、足払い等をよくするに止まり、天神真楊流の巴投げ、起倒流の横捨身などはこの流派として唯一の立技といっていいような状態であった。
(後略)
老松信一『柔道百年 改定新版』(時事通信社、1976年)