フィクションに登場する武術描写の評価について

ツィッターでの話題に対応して書いてみる。具体例をうまく紹介できそうになかったので、思うところを書こう。

  • 漫画でも小説でも、武術の理念的・概念的な面を作者がどう理解しているかどうかはかなり描写の良し悪しに関わる。
    • 現実の武術をフィクションにうまく登場させている人は、全体としてその武術らしい戦い方を描写できている。
    • もちろんこれは作品の方向性次第ではある。特定の武術らしさを追求する必要がない作品もある。
  • 例えば作中に何らかの武術が登場した場合、次のような事が気になる。
    • なぜ作中の武術流派ではそのような戦い方をするのか。
    • その武術の基本理念と、それが生み出す戦術はどのようなものか。
    • その結果として、同じ流派で戦う場合、上手下手はどのように表れるか。
    • 得意とする状況や相手はどのようなものか。逆に不得意なのは何か。
    • 要するにその武術が理想とする境地は何で、それは練習方法や戦いの組み立て方、技術の巧拙としてどのように表れるのか。
    • これを外部の人間が知るのは難しい。作者が希望する内容をうまく説明している映像資料や先行作品があればいいが、ないことが多い。だから取材する作者も当然いる。
  • 優れた作品は、その武術の根本的な考え方と戦い方をうまく関連づけて描写できている。一方、今ひとつな作品の武術には基盤や一貫性がなく、流派の違いを構えや技の違い、威力や速度の差といった部分部分の差異でしか説明できない。そして戦闘が攻守ごとにブツ切りのターン制バトルになりがちである。
  • 必ずしも実際の武術を深く理解して概念的な説明をしなければならないという話ではなく、作者なりの首尾一貫した理解と描写があれば、作品としては良くなる。
    • 逆に言うと概念と戦い方を理路整然と扱っている作品でも現実の武術の解釈としては間違っているとか浅いということもある。
    • これはフィクションとしては良し悪しの問題ではないが程度による。あまりに突拍子もない解釈・考え方は、どこかに無理があっておかしいと感じる。
    • また、現実と比較して違っている場合、作者が誤解しているとは限らず、フィクションとしての面白さの都合であえてそうしていることもある。
  • もちろんフィクションにはストーリーがあり、キャラクターの個性があるので、そういった物語上の要素と武術の理念、概念的な一貫性をうまく絡めるところにポイントがある。