みんみんぜみさんのツィートの二天一流と猫の話から。
『二天一流は猫派』がうけたけどこの武蔵流(仮称)伝書、色々面白い事が書いてある。
— みんみんぜみ (@inuchochin) 2016年7月12日
「二刀を初めて使ったのは新田義貞」
「武蔵父無二は西国新免氏の末子で十文字の名手。無二が二刀流を始めた。小太刀は十手を使った」
「備前宮の森に住し、宮のもとに住むという意味で宮本無二と名乗る」
この新田義貞の話は太平記で有名だが、実際どのような記述か知らない人もいるかもしれない。
手元にある岩波書店の『日本古典文学大系 太平記 二』から引用してみる。
該当する部分は巻第十六の「新田殿湊河合戦の事」である。
建武3年(1336)、九州から東上した足利尊氏・足利直義らの軍と、後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成軍との間で行われた湊川の戦いの話だ。
数に劣る新田軍は敗北して退却することになる。しんがりの新田義貞に対して足利軍が矢を射かけてくる場面で義貞は二刀を使う。
義貞は薄金と云ふ甲に、鬼切・鬼丸とて多田満仲より傳たる源氏重代の太刀を二振帯れたりけるを、左右の手に抜持て、上る矢をば飛越、下る矢をば差伏き、真中を指て射矢をば二振の太刀を相交て、十六までぞ切て被レ落ける。
同書のカタカナはひらがなに改めた。
いかにも軍記物といった記述だが、『太平記』の人気から考えても古くから知られている二刀のエピソードだろう。創作としても名刀を使った二刀の逸話としてこれに勝る話はないのではないか。