ネット小説の武術の段位や練習環境で気になったこと

  • つい最近、あるライトノベルを読んで登場人物の一人がその年齢では取得できない武道の段位を持っていて気になったことがある。
  • 多くの人は段位制を採用しているほとんどの武道で段位取得に年齢制限があることを知らないのだろう。
  • そこでネット小説投稿サイト「小説家になろう」を調べてみたら、やはり同様の例が無数にみつかった。
    • こうした小説の段位は、段や黒帯が持つ権威のイメージを反映している。「段位の数字が大きければ強い」程度しか知られていないし、小説の作者(商業作品の作家でも)特に調べないということだ。
      • このイメージの手軽さからか、ネット小説では段位制度がない武術でも段位がある。
    • 小説ではなく現実の話だが、かつてアメリカでは日本の武道の黒帯は凄いものだと思われていたという。
      • 例えば空手の黒帯は、敵の心臓を抜き取ることができるという都市伝説さえあった。
    • 現在のネット小説で見られる強さはアメリカの例ほど極端ではないにしろ、三段くらいだと喧嘩で負けなしといった感じである。複数人を相手に圧倒するといった描写も珍しくない。
    • ちなみに「小説家になろう」に出てくる段位で登場件数が最も多いのは「三段」である。おおむね三段以降が強さを誇示できる段位だと思われているようだ。
  • 段位の次に多いのは「免許皆伝」である。
    • これはもう一般化しており、制度としての免許や皆伝の実態と関係なく、すべての技術を身につけたという程度の意味で幅広く使われている。
    • このため段位制度同様、免許皆伝がないような武術にも使われる。
    • 八極拳免許皆伝」とか「合気道免許皆伝」とかザラにある。
    • 免許皆伝と同じような意味合いで「マスターする」「習得する」といった表現もある。
    • これらは段位と違って言わばレベル完スト、完成された強さと技術を示している。ネット小説では多くの場合、達人と同義である。
    • しかし考えてみればおかしな話で、他のスポーツで完成状態を示す表現はない。なぜか創作の中で武術・武道・格闘技の類に対してはこれ以上ない完成状態があって当たり前だと思われている。あらゆる武術がそのように扱われている。
      • 武術の「型」や「技」についての固定的なイメージのせいか。
  • 以上の例は、何となく世間の武術イメージを伝えている。
  • 上の話とはまた違うが、軍隊格闘技系の格闘技だと知名度、練習環境に疑問がある例が多い。
    • 外国の軍の兵士しか訓練できないものを日本の民間人が経験していたり
    • 現在では訓練されていない昔のものが現役のものであるかのように語られていたり
    • 物凄くマイナーなものが有名なものであるかのように扱われていたり
    • 軍向けの格闘技は一般的な格闘技と違って様々な事情がシビアなのだが、その辺の理解がないまま変に知識を出そうとしてかえって失敗している小説がかなり見受けられる。
      • クラヴマガやシステマのように軍の外部で練習できるものだとそういった考慮はあまり必要ない。問題は軍の訓練課程にがっちり組み込まれて外部で学べないものだ。
    • 諸々の事情はうまく使えば面白くなるだろうが、そこまで考える人は限られているようだ。