神道一心流の過去記事


みんみんぜみ(@inuchochin)さんがツィートしていた神道一心流の記事について、2014年にも東京新聞に記事が載ったことがある。
その時の記事は流派の復元に関連する内容を含んでいたので、引用してみる。

「未来へ遺す(1)みなかみ発祥の剣術 神道一心流 200年の口伝を継ぐ」

(略)
江戸中期から後閑村(現みなかみ町後閑)に伝わる剣術、神道一心流を学ぶ町内の師範代、茂登山(もとやま)茉希さん(25)が真剣な表情で模擬刀を振る。指導にあたる一心流二十代、師(もろ)久夫さん(71)の声が飛んだ。
「相手の剣をはねて、斬り上げる」「頭をもっと下げて」。茂登山さんの傍らで刀を握る幼なじみの氏家紘平さん(25)は時折、苦笑いを浮かべる。研修医の生活が多忙で、稽古は一年ぶりだ。
高校二年の時、剣道部の氏家さんが「居合もやってみたい。教えてくれる人、知らない?」と茂登山さんに尋ねたのが始まり。道場を開いていない師さんに稽古を頼むと、後継の育成に悩んでいた師さんが快諾した。約十人の弟子がついたが、いまは二人だけだ。
稽古で使う模擬刀は二尺三寸(約七十センチ)。切れはしないが鉄パイプくらいにずっしりと重い。茂登山さんは最初、さやに戻す時に手を打ち、青あざが絶えなかった。中学で初段を取った柔道や高校で二段を取った空手と腰の動きが相通じており、グングン上達した。進学や就職で地元を離れても一人で稽古を続けた。
いまは地元の写真館でカメラマンをしている。車の後部席の赤い花柄のシーツの上に木刀が置いてある。「暇があれば公園や神社で練習しているんで」とはにかむ。
形の稽古は、相手と対峙するわけではない。どれだけ自分を突き詰められるかだ。「集中できていると形さえ考えず、無心になる。そんな時間が好きです」
師さんが繰り返し説いた教えも気に入っている。剣術は斬るためのものではなく、毅然(きぜん)とした心と気合を身に付け、刀を抜かずに争いを避けるためのものだ−。
口伝だけで伝えられきた神道一心流。「形のないものが二百年も前から残っているのはすてきだ」と茂登山さん。「納得いくまで学び、伝承する側になれれば」。若々しい笑顔に決意をにじませた。(伊藤弘喜)
(略)
神道一心流 1748(寛延元)年に後閑村で生まれた櫛淵虚中軒(くしぶち・きょちゅうけん)が、剣や槍、なぎなたの術を取り入れ、1785(天明5)年に沼田市の河内神社に100日間こもって創設。みなかみ町の玉泉寺に虚中軒が鍛錬に使ったという重さ100キロ超の石が残る。流派は一橋徳川家の武術指南役に。かつて約120本あった形は代々、口伝で継承され、いまも残るのは28の形。このうち、相手の足元から斬り上げる「竜巻」など10の形を師久夫さんが復元した。

(2014/01/03 東京新聞朝刊 地方版(群馬版))

省略したのは練習風景の描写や連載の趣旨の部分で、具体的な技や人物の説明はそのまま引用している。
>>補足 神道一心流の月刊秘伝の記事