神道一心流の月刊秘伝の記事

下の記事の補足として、月刊秘伝2014年9月号の記事の説明を引用しておく。

現在伝えられている神道一心流の体系は主に、居合形である「刺突剣」と「斬撃剣」に、本来、打太刀と仕太刀によって行われる剣術形を新たに師先生が一人形として編成し直した「撃剣」から成り立っている。


「女性剣士に託される、郷土武芸の復興 利根川の源流に遺りし隠れたる名流 神道一心流剣術」(月刊秘伝2014年9月号)より

技自体は先代から伝えられたが「刺突剣」「斬撃剣」といった編成は師久夫先生がまとめたものだという。
記事には先代・小林金之助先生から受け継いだ組太刀を指導していた結果、あまりの厳しさに稽古を挫折するものが続出したために工夫されたものだという事情が書かれている。
神道一心流では刀に慣れさせるため撃剣から稽古に入ることが習わしだったが、稽古をするものがいなくなってしまうので、師先生が撃剣の組太刀からその要旨と思われる技法を抽出して一人形にしたのが現在の撃剣だとある。「剣を受ける仕太刀の方には格段の技術がないと、たとえ木刀でも怪我をしてしまう」というから、先代から受け継いだ撃剣の稽古は木刀でやるものだったのだろうか。この点ははっきりとは書かれていない。
下の記事にもある復元された10本の形とはこの新しく編成された「刺突剣」「斬撃剣」「撃剣」の形のことである。
月刊秘伝の記事ではこれらの形を組み合わせた「複合錬成剣」といった体系も考案されているとあり、今日付けの東京新聞の記事に書かれた約四十本の形というのも単なる復元ではなく新しく一人形用に抽出・編成したものなのだろう。
ところで月刊秘伝の記事によると櫛淵虚中軒宣根が編み出したのは48の形とある。下で引用した東京新聞の記事では「かつて約120本あった形は代々、口伝で継承され、いまも残るのは28の形」とある。この辺どういう流れになっているのかはよくわからない。時代で稽古する形の数が変わることは珍しくないが経緯が分かる記述はなかった。