食育・マクロビオティック・大学図書館

 食育とともに普及するトンデモ - 火薬と鋼の関連エントリ。
 先日の夕刊にNHK学園の広告が掲載されていた。そこにはこんな内容が。
http://www.n-gaku.jp/life/dtl/5S2.html
 とうとうここまでマクロビティックも普及してしまった。
 どらねこさんが紹介したように食育の授業どころか給食にまで採用された例もある。
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 本来のマクロビオティックの考え方はかなり無茶な、科学的というより信仰・思想色が基本にあるものだが、当たり障りのない部分だけ抜き出して都合よく解釈した「カジュアルなマクロビ」とでも言うべきものが最近普及している。
 ここから更に深みにはまってしまう人もいるかもしれないし、食育そのものの危うさも心配だ。
 今回は食育とマクロビオティックを巡る現在の状況について大学図書館の側から見える状況を書いてみたい。

食育の強引さ

 食育に関連した図書は食育基本法成立の2005年前後から激増した。
 この分野も千差万別で、同じ「食育」とついていても内容はバラバラである。
 ただし、比較的被っている要素もある。
 食育基本法で言うところの「伝統的な食文化、環境と調和した生産等への配意及び農山漁村の活性化と食料自給率の向上への貢献」である。
 更に、ある種の分かりやすい肯定/否定対象が決まっている。
 批判対象:科学技術(農薬、遺伝子操作(GMやクローン肉など))、外食、外国産
 肯定対象:自然、内食、国産、日本の伝統
 こんな感じである。
 これらの肯定/批判は、必ずしも合理的なものや科学的なものではない。
 しかし、食育関連書(一般向けも教員向けも含む)では、こうした肯定/否定は検証するまでもなく自明のものとして扱われる。
 例えば農薬に関して児童の「虫食いのある野菜も嫌がらずに食べる」という意見を取り上げるといった具合に。
 果たして農薬や遺伝子技術を使わず、食糧自給率を上げ、なおかつバランスのとれた栄養を伝統的な食品・料理で摂るというのは現実的だろうか。
 (だいたい、日本の伝統的な食事って栄養のバランスよくないよなあ)
 この強引さは、栄養上の問題、食生活の問題、食糧自給の問題など様々なレイヤーの問題を全て一括りに「食育」という教育で解決しようとしたために起きたのだと思う。


 食育基本法以前から、教育における食事や栄養には、科学的根拠に乏しいものが入り込んでいた。
 この基本には、特定の何かを食べることが害となる/有益となるという安易な認識がある。
 TOSSの総合学習の授業例でもマクロビオティックが扱われていたし、TOSSでなくともその種の内容が扱われていることがる。
 「教育に都合がいい」ある種の分かりやすさを好む人々が教育における食の世界にあるのだろう。
 なお、食事が人格や問題行動、学習にまで影響するという説も以前から好まれている。
 最近のhttp://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/02/post_328.htmlも、そうした考え方を好む人々のための印象操作の結果だろう。

カジュアル化したマクロビ

 こうした食育と同時期に広まっていったのがマクロビオティックである。
 以前の食育とともに普及するトンデモ - 火薬と鋼では思想的色彩が強い、本来のマクロビの内容が食育に使われた例が出ているが、実は最近普及しているマクロビの図書や教室はそこまでどぎつい内容ではない。
 玄米食や菜食といったものを推奨するのが中心になっている。
 例えば思想的背景のないただの玄米食のレシピ本などもマクロビの本として出版されている。
 実態としては本来のマクロビとカジュアルなマクロビは完全に切り分けられるものではなく、違う濃度で並存している。
 そしてカジュアルなマクロビは敷居が低いぶん、容易に教育の場に用いられるのだろう。
 そもそも食育という言葉自体、マクロビの大元となった石塚左玄が生み出した語であり、現在の食育とマクロビも相性が良いのである。
 どちらも思想・理念が先行し、食事が個人の健康や精神、更に国家へ寄与するという考えが根底となっている。
 さすがに本来のマクロビでは敷居が高いが、思想的部分をぼかし、栄養学の情報を織り込むと敷居はぐっと下がる。
 カジュアルなマクロビが広まり、食育に使われるのは必然であったと言える。

大学図書館と食育

 管理栄養士の課程がある大学図書館では、栄養学の教科書・学術書以外に一般向けの料理本や栄養、食品の蔵書もある。
 その結果、昔から大学図書館には内容の明らかにおかしい栄養・食品関係書もまぎれ込んでいた。
 おかしな著者から寄贈されることもあるし、教員がおかしな栄養学にはまり込んでしまう事もある。
 中には理事や事務の偉いさんやその交友関係から本が来ることもある。
 選書段階でその種の本だと気付かれないまま受け入れらることもある。
 そんなわけで、栄養という領域にはやたらと疑似科学が入り込むのだが、「食育」というのはそれを加速した。
 これまでの栄養、食品関係の本はタイトルで内容の妥当性まで推測ができることが多かった(『〜でガンがなおった!』のようなタイトルとか)。
 しかし食育関連書では、内容の妥当性が分かりにくいのである。
 一見よくある食育の授業モデルを紹介した本なのに、中身は疑似科学ということもあるわけだ。
 こうした中で、出版事情を反映してカジュアル化したマクロビの図書も大学図書館に増えた。
 マクロビを食育授業例に使うような本に加え、一般向けのマクロビの本が増えたのだ。
 管理栄養士、栄養教諭課程のある大学図書館には少なからずマクロビの本がある。
 現在、マクロビを批判する図書は全くなく、その本来の危うさを知る機会は少ない。
 こうした状況ではマクロビが今後も食育に使われる可能性は高いだろう。
 将来の管理栄養士や教師である学生が、当たり障りのないカジュアル化したマクロビから、やがて思想重視でトンデモな世界に入り込まないか、それを危惧するばかりである。