学校図書館と検閲の事例 (2)

 学校図書館と検閲の事例 (1) (追記あり) - 火薬と鋼の続き。


本の学校図書館のあり方については、学校図書館憲章が指針として存在する。しかしこれはかなり漠然としており、具体的な問題への対処の指針にはなり難い。
これに対して、アメリカでは「図書館の権利宣言」解説文として「学校図書館メディア・プログラムの資源やサービスへのアクセスAccess to Resources and Services in the School Library Media Programというより具体的な指針が存在する。
歴史的には1955年に採択された「学校図書館の権利宣言」というものが先行して存在していた。その内容が「図書館の権利宣言」と重複しているか、宣言よりも弱い内容であったために廃止され、1986年に新しい内容の学校図書館に関する文章が解説文として採択されたのだ。その後何度か改訂を経て現在のかたちになっている。
日米の重大な違いは、どちらも教育の支援や知る自由の保障を謳いつつも、アメリカの解説文ではより強く検閲や介入に抵抗していることだろう。
解説文では以下のように説明している。

ときには生徒や教師が読み、視聴し、電子情報にアクセスすることについて、適切なものを定めようとする人や集団がいる。学校図書館メディア・スペシャリストは、こうした動きに抵抗する。
生徒と資源の間に横たわるおもな障壁には、例えば以下がある。年齢や学年で資源の利用を制限すること。相互貸借の利用や電子情報へのアクセスを限定すること。特別な形態の資料の情報を有料にすること。親や教師からの許可を求めること。制限書架や閉架を設けること。それにラベリングすること。

こうした日米の違いは、アメリカでは介入による過去の事例が豊富にあり、議論が十分なされてきたことも一因である。
アメリカで特に重要な事例を2つ紹介しよう。

レジデンツ事件 教育委員会の介入が認められた事件

参考プレジデンツ事件裁判(英語)
1971年、ニューヨーク州クイーンズの第25学区で、ピリ・トマスの「この汚れた街を行く」(Down these mean streets)が問題視された。
同書は貧困層に生まれたマイノリティの人種問題や犯罪、麻薬、性などを描写した自伝的小説だ。この本が中学校の図書館に所蔵されている事に対し、生徒の親たちが教育委員会に苦情を申し立てたのである。
結果、この学区の学校図書館から同書は除かれ、未購入の学校でも購入禁止となった。
こうした措置に反対する第25学区審議会(親や教師の様々な団体の長からなる会)と生徒、親、教師、校長、図書館職員は、教育委員会を提訴した。
原告は、教育委員会の決定やそれに依拠する措置は、原告が有する修正第1条の権利を侵害するもので、違憲であり、図書館からの除去や購入禁止を止めるように求めた。
なお、提訴後に教育委員会は同書を図書館に戻すが、親が所定の申請用紙に書き込んで親に貸し出すという方式に改める決定を下した(未購入の館は引き続き購入できないままであった)。
しかし、連邦地裁は教育委員会の措置を合憲とし、連邦控訴裁でも教育委員会の措置が支持された。
裁判所は、図書を除去・購入禁止しても生徒が同書について議論することを禁止しているわけではないから、表現の自由の侵害ではないとしたのである。

ミナーシニイ事件 教育委員会の介入が認められなかった事件

参考Susan Lee Minarcini et al., Plaintiffs-appellants, v. Strongsville City School District et al., Defendants-appellees,andmichael Bingham et al., Applicants for Intervention-appellees, 541 F.2d 577 (6th Cir. 1976) :: Justia
1972年、オハイオ州ストロングヴィル市学区で英語科の教科書推薦リストが作成された。このリストの審査の結果、ジョセフ・ヘラー『キャッチ22』やヴォネガット『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』、『猫のゆりかご』の教科書としての使用が禁じられ、図書館からの除去も決定した(除去理由は議事録にも記録されていない)。
(この事件では問題の当初から裁判の判決に至るまで教科書と図書館蔵書の扱いは同一視されている)
この決定に対し、S.ミナーシニイら生徒はオハイオ北部地区連邦地方裁判所に提訴した。原告は、教育委員会が専門の教員が選んだ教科書を恣意的に選別し、生徒が有する修正第1条や修正第14条の権利を侵害したと主張した。
これに対し、地方裁は、教育委員会は教科書、図書館蔵書に対する広範な裁量権を持ち、蔵書の除去もできると判断したのである。
教育委員会の判断を問題視するには、教育委員会の措置が憲法違反である場合のみであり、この場合生徒は自分で本を購入できるので権利侵害はなされていないというのである(プレジデンツ事件の判決と同義である)。
その後、原告は連邦控訴裁判所に上告し、1976年に地裁とは異なる判決が下りた。
教育委員会が専門教員の推薦を拒否しても問題ないという点では地裁判決を踏襲したが、教育委員会は図書館の蔵書についてまで絶対的な決定権を持つものではないと判断したのである。
控訴裁は、学校図書館の存在意義を重視し、教師の学問の自由、生徒の学ぶ自由のために蔵書を除去してはならないとした。
あわせて、除去の動機が明確でないこと、生徒の修正第1条の権利=知る権利も判決で重視された。

アメリカの学校図書館への圧力

レジデンツ事件以降、学校図書館への苦情申し立てや裁判は増加した。
1985年11月にアメリカ自由人権協会が調査した結果によると南部の公立学校図書館では資料の検閲を受けたのは31%で、約37%が図書館から除去、37%が保持、残りは利用制限されたことが明らかになった。
L.バーネスの研究*1でも全米の学校図書館で年々検閲・苦情が増加し、特に1980年代に団体やグループによる苦情が増加したことが示されている。
この調査で、1982年時点で最も非難された資料は以下の通りである。

図書
『十五歳の遺書 アリスの愛と死の日記』(Go Ask Alice)
サリンジャーライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye)
J.ブルーム『キャサリンの愛の日』(Forever)
スタインベック二十日鼠と人間』(Of Mice and Men)
ヴォネガットスローターハウス5』(Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance with Death)
トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』(The Adventures of Huckleberry Finn)
雑誌
『タイム』(Times)
ニューズウィーク』(Newsweek
ローリングストーン』(Rolling Stone)
『マッド』(Mad)
『ハーパーズ・バザール』(Harper's Bazaar)

こうした学校図書館への圧力の増加を背景にしてアメリカ図書館協会ALAは前述した「学校図書館メディア・プログラムの資源やサービスへのアクセス」を採択したのである。
学校図書館への圧力は、学校教育への圧力と同期しており、現在に至るまで学校図書館資料への検閲や圧力は続いている。
対抗手段の一つとして、ALAは、毎年学校図書館や公立図書館に対して除架・利用制限依頼のあった資料リストを公開し、その資料の読書を呼びかける禁書週間(Banned Books Week)を開催している。
Banned Books Week | September 23-29, 2018 公式サイト
ALA | 100 Most Frequently Challenged Books of 1990-2000 1999-2000年の間に最も苦情があった本100冊
Frequently Challenged Books | Advocacy, Legislation & Issues昨年最も苦情のあった本、著者リスト
Exede Internet Provider of High-Speed Home Internet Service American Booksellers Foundation for Free Expression (ABFFE) による最も苦情のあった本のリスト
日本でもこうしたリストが出れば面白いと思う。

*1:Lee Burress. Battle of the Books. Scarecrow Press, 1989