システマの練習について:脱力その後

以前、肩を痛めた際に余計な力が入っていることを実感し、脱力について分かるようになっていった経験を書いた。その後の話をちゃんと書いていなかったので、書いておこうと思う。
前に書いたように、私はシステマを始めて一年余り経った頃、練習中に地面に肩を強く打って長く痛みが続いたことがあった。肩に力が入ると痛みが出て、力を抜いていれば動かしても痛みが出ないという状態が続いたのだ。
この状態はシステマに不要な力み、緊張が生じると、その強さに伴って痛みも強く出るので、即座に自分の力みを認識できるようになった。
しかし、それですぐにシステマに必要な脱力ができるようになったかというと、それほど都合良くはない。だいたい、他のシステマの練習者を見ても、経験が長くない人でも自分が力んでいることはかなり早い段階で自覚している人が多い。問題は、自覚があっても力みをなくして動かすことがなかなかできないということだ。
肩の痛みで力みの認識と調節が容易になっても、これは難しい問題だ。これをどう解決するかは練習の目的の一側面であり、個人的な問題でもあるが、自分が心がけたことを基に書いておく。
この問題解決への糸口の一つは、インストラクターの動きをよく観察することだ。うまくできない練習が多い段階では、あらゆる動きがインストラクターとは違う。実際には外部に見えない部分で違うこともあるので、これだけで解決できるわけではない。また、外形にとらわれると、無理に型に押し込めようとする失敗を起こしやすい。観察から得られるのは、あくまで違いの一端を知る手がかりだけである。意識といった内面的なものが分からないからといっておろそかにしていると練習にならない。
もう一つの糸口は、インストラクターの説明するイメージや比喩を体験できるように練習すること。いわゆる「わざ言語」を重視することだ(わざ言語については以前「わざ言語」と武術で紹介した)。これはインストラクターとイメージを共有できていないと有効ではないという難しさがある。
いずれの場合も一長一短があるが、慣れていないうちは前者の割合が多く、慣れるにしたがって後者の割合が多くなるはずである。そしてこれも重要なのだが、練習中はあまり考えながらやらないほうがいい。同様に、動きの中断や躊躇はあまり良い結果を生まない。経験上、何かやろうとする意識を失敗によって途切れさせると、失敗イコール中断という悪い癖がついてしまう。特に自由度が高い練習をやると実感するが、失敗しても意識を切らずに他の動きにつなげられたほうがいい。
意識についてある程度実感できるようになるということは、意識をどう変えるとどのように自他に影響するかが分かるということである。
この段階になると、相手と接触するより前の意識の状態が練習の成否に大きく関わっていることが分かる。相手と接触する前の意識の状態でうまくいくかどうかはほとんど決まっており、相手と接触するほど近い状態は、終わらせる段階であると言ってもいい。これは単純な練習ほど分かりやすい。例えば練習パートナーをプッシュする練習では、手が相手に触れる前に適切に押せる意識、状態ができている。こうした意識ができるようになると、相手がこちらに対応してくる自由度が高い練習でも先んじて制御する状態を作ることが可能になってくる。同様に受ける場合も受動的な意識にならずに接触前から主導権を取る状態は始まっている(相互の状況によっては離れたまま主導権のほとんどを取る)。こうした感覚が分かってくるとそれまでと同じ練習をしても練習で磨くもの、感じ取るものは変わってくる。
ここでもう一つ並行して問題となるのが、相手にどのように影響を与えるかということだ。
力まずに相手に影響を与える動きをどう知るか、というのは私くらい不器用だとかなり時間を要する課題である。これは「コネクト」という相手とつながり、相手を制御できる状態の理解につながり、脱力や意識の使い方と密接に関わっている。私はこの課題を理解するにあたって神経科学の本を参考にし、相手の身体を自分の身体の延長としてイメージすることで力みのない感覚に近づけていった(しかしこれは後から考えるとあまり良い方法ではない)。ともかく小さい力と少ない接触で相手の全体に作用するには慣れが必要で、慣れるためにはまずその感覚を得る必要がある。システマはこの点よく出来ていて、様々なアプローチで必要な感覚や動きを練習できるようになっている。
ここまで書いたような問題は大抵の場合インストラクターと組んで練習すると理解が進み、理解できない練習には重要な課題や示唆を得られるので、インストラクター、シニア・インストラクターに直接教わる機会は大事にしたほうがいいというのが実感だ。