武術と型の話のメモ

Twitterで剣道・剣術の統一形の話から派生して武術の型の話になったので、思うところを書いておく。

  • いきなりアメリカの話になるが、型のある武術が現実的ではないと批判されることがある。主にネットでの動画や掲示板で出てくる話だ。
    • この場合の「現実的」は、犯罪や喧嘩に遭遇するようなシチュエーションと型の動きが違うとか、護身的な状況で使えないとかいった意味合いである。
    • 最も、型の有無と関係なく練習内容から実際のシチュエーションを想像できないような武術は大抵同じような批判がなされる。
      • 例えばシステマもそういう批判対象になっている。
    • フィリピン武術もよくそうした批判対象になっており、昨年ダグ・マルカイダは説明の動画(↓)を公開した。

    • この種の批判は現実的・実戦的であることを売りにする武術や護身術の側から出ている(練習はシナリオやシチュエーションを基としているものが目立つ)。練習目的をよく理解しない的外れな意見がある一方で、時にまともそうな意見が出ていることもあるが、批判側の技術の妥当性はどうなんだ、と思うことは多い。
    • この件を突き詰めると個々の主張をよく改めないといけないのだが、この手の批判はしばしば大雑把なうえに商売気と承認欲求の強さを感じてあまり積極的に近づきたくないトピックである。
    • 型の話とズレてきた。
  • ステマの練習についても書いておく。
    • ステマは型がない。インストラクターの説明とデモンストレーションをもとに、練習の趣旨と指示された状況にあったものを自分なりに実行しなければならない。プッシュアップのような基礎的な練習以外では、毎回違う内容、違う構成の練習をやる。インストラクターとそっくり同じ動きをするのでもなく、毎回同じことを繰り返して習熟するのでもない。
    • これは私のような不器用な人間にはひどく厄介である。しかし難しいことばかりをやらされるわけではないため、一回のクラスで全ての練習が理解も実行もできないということにはならない(できないなりのやり方でしかないが)。
    • 毎回違う練習をやるとは言え、原則や求められる身体の使い方、必要な感覚はシステマのものであり、異なる練習をやりながらも共通する感覚を様々な面で育てているようなところがある。
    • 個人の感覚、内発的なものを磨かなければならない練習であり、とにかく多様な練習を積んでいくうちにできること、わかることが増えていく。唐突にできるようになるものもあれば、徐々にできるようになるものもある。
    • 外見からわかることは限られており、動画で見たシステマを誤解して解説している人もいる。以前ここで紹介した小説のシステマの奇妙な解説も、そうした分かりにくさから生じたものと言えるかもしれない。