足の裏を十字に切る行為について

Twitterでみんみんぜみさん(@inuchochin)がツィートされていた件に関連する話を書く。
はてなからTwitterのアカウントに呼びかけられる機能がなくなって不便だ。


ツィートはある流派の口伝書の内容から。


この話とは違った状況で足の裏を十字に切る例を本で読んだことがある。
その本とは千葉徳爾『日本人はなぜ切腹するのか』(東京堂出版)。切腹について民俗学の手法で分析した本だ。著者の千葉徳爾wikipedia:千葉徳爾)は柳田國男門下生の民俗学者切腹に関する複数の著作があり、切腹研究のために解剖学を実地に学んでいる。
日本人はなぜ切腹するのか

日本人はなぜ切腹するのか

この本から足の裏を十字に切る行為が登場する部分を引用してみる。
「第三章 切腹起源論」に「南部地方に無念腹なし」という項目がある。無念腹とは腹部の切り口から内臓を露出させることで、主命に従わない本心を露出しているとして忌む故実家もいる。しかし南部藩では無念腹のような形を忌むことはない。ただし、それに相当する事項はある。
南部藩切腹介錯人の作法書(写本)に出ている内容によると、次のような作法があるという。

切腹人の首を打ち落としたとき、その眼が開いていたり、口をあいて舌がはみ出している場合には、その死体の足の裏を十文字に切って創をつけておけと書いてある。

このように足の裏を十文字に切り裂くのは何のためか。
著者の千葉徳爾は、分析のために足の裏を切り裂く行為が出てくる史料を複数紹介している。
近藤重蔵が筆録したという『志士清談』によると岡山藩の古書に「人を殺して留(とどめ)を指すに、或は喉を截(き)り或は胸を洞(とう)して又其足の裏を割く。古の一例あり。是を足のうらをかくと云」とあるという。
『志士清談』の「古の一例」がどういった事例を指しているのかは記述がなく不明だが、中世の史料にはそうした事例が確かにある。千葉はこの例を2つ紹介している。
足利時代の『細川大心院記』に家臣某が主君細川氏を入浴中に弑逆した時に足の裏を切り裂いたことが記されている。
また、信州諏訪部の小平一族の事績を記した『小平物語』に書かれた中世の当主の話では、山伏十数名を襲って殺し、財物食料を奪った際にやはり一人一人の死体の足の裏を十文字に切り裂いて谷に投じたという。
千葉が恩師の柳田國男から聞いた話によると、これは一種の呪法として霊魂が出現して祟りを行さないための防御措置だろうという。
これをもとに千葉は前述の南部藩切腹介錯人の作法について、眼を見開き舌を出すなどは怨恨を抱いて死んでいくものだから、その霊が出現するのを防ぐため、歩けないように足の裏を深く傷つけたのだろうとしている。当時の幽霊は足があって歩くものと考えられていたからだ。
Twitterで紹介されていた話もこれと同様、怨恨を抱いて死んだ相手に対するまじないである可能性が考えられる。