『イノセンス』バリケードポジション問題

 はてブを見ていたら下のようなエントリをみつけた。
『イノセンス』に見る監督と原作者の考え方の違い。「銃撃戦で利き手の側にバリケード。隠れながらどっちの手で撃つ?」→士郎正宗 「利き手だろ」→押井守「非・利き手だろ」
 正解を言えば、体をなるべく遮蔽物に隠して非利き手(weak hand, off hand)で撃つのが正しい。第一、このコマの構図を考えると腕を相手に向けるにはかなり制限がある。つまり攻撃力重視というのも成り立たない。体を露出してでも命中精度を重視したいなら両手で構えたほうがマシだ(義体だろうが握力があろうが両手のほうがコントロールしやすい事に変わりはない)。
 こうした持ち手を変えるバリケード・シューティング/バリケード・ポジションの技術は別に近年になって知られるようになったものではない。かなり以前から知られているもので、例えばフィクションでは漫画『パイナップルARMY』(浦沢直樹/工藤かずや)のエピソードの一つ「5月2日の弾道」(1986年発表)でもこのテクニックが語られている。もちろんアメリカのコンバットシューティングではもっと前から普及しているテクニックである。例えば1981年のニューヨーク市警の調査では、利き手と非利き手での訓練が行われていること、バリケードポジションで非利き手の使用が有利な場合があることを示している(1981 NEW YORK CITY POLICE DEPARTMENT ANALYSIS OF POLICE COMBAT SITUATIONS)。どこまで時代を遡れるかは知らないが、それ以前のコンバットシューティングの雑誌記事や書籍にもこうしたテクニックの記述があったと記憶している。
 ただし、「咄嗟のことだったから」とか「義体だから」とか理屈はつけられる。それと、基本といわれる動作をプロが必ずしているわけではないのだ。例えば撃つ時までトリガーに指をかけないのは基本中の基本だが、この基本を守っていなかったPMCのオペレーターや警察官の写真・動画を見たことがある。
 しかしこうした例外を踏まえても、オーソドックスな動作をしたほうがフィクションの上では良いと思う。定石どおりではない動きをとる理由づけがはっきりと分かる描写を盛り込むならともかく。そうでないと、単に作者が知らなかっただけではないかとも思われる。


 余談。
 ガンマニアが書いた小説・漫画だからといって、その描写(特に運用、操作)が正しいとは限らない。むしろ自分が良いと思った銃を出すことにこだわってしまって銃にまつわる他の要素はダメになることが多い。コレクション向きの珍しい銃を実戦で使ったり、人と銃のサイズの比率がおかしかったり、操作をちゃんと描けなかったりといった例はいくらでもある。士郎正宗がその例だとまでは言わないが、マニアの作者にはそういう傾向がある、ということは覚えていていいと思う。