ニセ科学批判批判は、行動がアホだと思う

http://d.hatena.ne.jp/circled/20090219/p1
誰かが自分のやっていることに対して『それは行動がアホだ。無駄だ。やめろ。』といきなり言ってきたところで、誰もが「何だお前は?失礼な奴だな。」と思うのが関の山だと思う。


確かに運動的におかしいよねっていうニセ科学批判を、印象を元におかしいって攻撃するのは良いんだけど、それをニセ科学批判者に押し付けても解決になっていないし、ニセ科学批判を正したいって目的は達成出来ないのが明白なわけですが、何故それを声高々にやり続けるのかは謎。


それが有効ではないという印象批判はいくらでも出来ると思う。で、それがいくら正しいと主張出来たからと言って、相手の心は変わるのかい?ってところが問題。言い換えれば、議論には勝てるけど、勝負に負けていること(相手の心を勝ち取ることが出来ていないこと)に気づいていない。


ニセ科学批判批判が目指すところは、相手の心がニセ科学批判を無駄と認識し、それを信じるのをやめさせるところにあると思う。ただ、そうした行動を取るにあたって、頭ごなしに『これだけ無駄があるんだから、アホに決まってるだろ。馬鹿なの?死ぬの?』と批判しても、それを熱心に論じてきた人は「目から鱗です。助かった!」とは喜ばない。むしろ、反発する人も結構いる。それが人間って生き物だし、むしろ論者的には、それがニセ科学批判ってのはそもそも気づいていますが何か?と思っていたりもする。


にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えに批判を繰り返すニセ科学批判批判グループは、アホか?と思うのだ。


アインシュタインは『同じことを繰り返しているのに、違う結果を期待するのはキチガイだ』って言ったけど、ニセ科学批判批判がアホみたいに同じような批判のやり方を繰り返すのを見ると、方法変えろよと思う。

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 いや、正直改変なんて上品なネタじゃないんだが、ニセ科学批判批判の言葉というのは、そのままニセ科学批判批判者に投げ返してしまえるようなものなんじゃないかと思ってやってみた。もちろん改変内容に実質的な意味はないんだが、その無意味さにこそ元のニセ科学批判批判の問題点がある。
 ニセ科学批判の主張に有効性だの無駄だのというわりに、自分の主張にはそういうものを求めないんだよな。
 空虚な論だ。
 ニセ科学批判が一様で一枚岩であるかのように捉えているあたりからもうおかしい。
 根本的な認識にずれがありそうなので、説得するのはニセ科学批判の側にとって無駄が多いと思っている。
 放置したり相手したりするとメタで実態から離れた議論ばかり増えるわけで*1ニセ科学批判の側からするとそれだけで無駄、ニセ科学批判批判(あるいはニセ科学)にとってはそれだけ利する。
 大体、ニセ科学批判批判者の議論につきあっても有効な説得方法や主張のバリエーションが増えそうにもないんだよな。
 ニセ科学批判批判(大体どいつも似たようなことしか言わん。態度問題と印象批判しかできない)に対する良いテンプレでもあれば良いのかもしれない。
ニセ科学への対応で忙しいので、相手はできません。もし貴方の主張が本当なら、ニセ科学批判をなくしてみせてご自身の主張の有効性を示してください」とか。これはイマイチか。

*1:過去のパターンから言ってニセ科学批判批判者にまずニセ科学ニセ科学批判について教えてやらなきゃ議論にならんしな。