骨法で盛り上がっているので火坂雅志の骨法シリーズの話でも

Twitterで骨法の話題で盛り上がっているようなので、前に読んだ火坂雅志の骨法小説を紹介する。

80年代後半から90年代初頭にかけて骨法、いわゆる喧嘩芸骨法として知られる武術は、幅広いメディアに登場し、フィクションにも登場した。
今見返すと色々とアレなのだが、漫画と比べると小説は読み返す人が少ないのではないだろうか。
しばらく前に格闘技仲間の間でかつての骨法の話で盛り上がることがあって、骨法小説も話題に上がった。
私も骨法が登場する小説の記憶はあったのだが、ほとんど忘れていた。そこでちょうど近隣の図書館にあったその小説を借りて読み返してみたのだ。
せっかくなので紹介記事を書いてみる。ネタバレを含むので注意してほしい。


骨法の小説を書いたのは、デビュー間もない火坂雅志である。
トクマノベルズで『骨法秘伝』(1989年)、『魔都殺拳 骨法シリーズ2』(1990年)、『骨法必殺』(1990年)の3作が出版され、後に徳間文庫としても発行された(その際『魔都殺拳 骨法シリーズ2』は『骨法無頼拳』に改題)。
このシリーズの舞台は応仁の乱によって荒廃した日本。主人公は古来より続く骨法の継承者、堀辺牙王丸だ。
バイオレンスとエロスの傾向が強く、主人公の牙王丸も大金のために用心棒仕事や人助けをしている無頼の人間である(分かりやすい例えではないが、峰隆一郎の小説に出てくる用心棒的)。義侠心や正義感、人情のために人助けをするキャラクターではない。
この3作、主人公は同じだが、基本設定と人間関係の一部を除くとほとんど独立したストーリーになっている。つまりどれから読み始めても困らない。
ストーリーはそれぞれ違うのだが、話の構造は3作ともよく似ている。
「冒頭で女が凌辱される」「牙王丸が女を助けて事件や関係者とつながりができて仕事を引き受ける」「敵・味方は何らかの陰謀や秘密を持ち、それはなかなか明らかにならない」「味方や敵は一枚岩ではなく裏切りがある」「牙王丸の前に立ちはだかる強敵はオカルトではなく物理的な意味で伝奇色が強い」というところが似通っていて、どの話がどのタイトルだったか分からなくなる。
3作のうちお勧めは一作目の『骨法秘伝』だ。本作の最大の強敵は改造手術で作られた改造人間であり、全身を金属で覆い武器腕で戦うというオーバーテクノロジー感が強烈な存在である。牙王丸はそれに対抗するため自らが継承していなかった必殺技「徹し」を習得するという工夫もある。
このシリーズのアクションは実際の骨法の技術を参考にしつつも、現代の喧嘩芸骨法よりも昔の技法を志向している。もっとも、アクションシーンのいくつかは骨法でも武術的でもないバイオレンスアクションといった感じだ。80年代に知られるようになった骨法の技はあまり登場していない。
火坂氏が取材で聞いた「講道館柔道では5段以上になると秘伝として骨法を学ぶ」という解説も含めてあの時代の伝奇アクション小説の味わいを楽しめる作品。どれも新本・電子書籍では流通していないので、古本(Amazonマーケットプレイスで各1円)か図書館で借りるかして読むしかない。

近未来合気道小説『神技 Kami-Waza』

合気道小説 神技―Kami‐Waza

合気道小説 神技―Kami‐Waza

たまたま発見した合気道小説。前に書評だけは読んで存在は知っていた。
発行は武術雑誌・書籍で知られるBABジャパン、執筆者はイスラエル出身の養神館合気道6段の人物。
この2点だけ見るとリアルな合気道描写を期待してしまうだろうが、必ずしもそういう方向性の作品ではない。
何しろ22世紀のフランスが舞台で、少年達が合気道開祖・植芝盛平の伝説の「神技」を復活させる計画にまきこまれるという凄い話なのだ。
ストリート・チルドレンである主人公ジェロームと友人のマックスはアイキ・リブリウム合気道学校に無理矢理入れられ、そこで「神技」復活のために合気道を学ばされる。そしてそのストーリーと並行して過去の植芝盛平のエピソードが語られる。
あらすじだけ読むと面白そうに思えるかもしれないが誤字が多くこなれていない日本語で、とにかく読みにくい。
合気道の習得や理屈の説明も分かりにくく、特に物理学(ひも理論)で説明されているあたりはかなりこじつけ感が強い。
そして肝心の合気道の「神技」が世界にアピールされるのは総合格闘技の試合やスタントなのである。
特にスタントは重要な場面で登場する。しかし爆発で崩れ落ちる足場を飛び移るスタントに合気道が使われるというのはかなり奇異に感じる。
武術小説というより奇書として読んだほうが楽しい小説と言っていいだろう。

アメリカ人による日本武道小説『Tengu - The Mountain Goblin』

Tengu: The Mountain Goblin

Tengu: The Mountain Goblin

しばらく前にシステマのクラスで話題に出した小説を紹介しておく。
アメリカでも武道・武術を扱う小説がある。その中でもジョン・ドナヒューという作家によるものは有名だ。
ジョン・ドナヒューは複数の日本武道を長年学んでおり、空手、剣道の有段者。剣道解説書Complete Kendoの著者の一人でもある。
Complete Kendo (Complete Martial Arts)

Complete Kendo (Complete Martial Arts)

今回紹介する本Tengu - The Mountain Goblinは、コナー・バーク武道スリラーというシリーズの第3作だ。
コナー・バークはこのシリーズの主人公で、大学の非常勤講師をしながらヤマシタという日本人の先生に日本武道を学んでいる。
スリラーと言ってもホラー小説の意味ではなく、サスペンスと言ったほうが日本人にはイメージしやすいだろう。
主人公はシリーズの中で日本武道と関わりのある様々な犯罪、事件と対峙するのだ。
本作では「天狗」と呼ばれるテロリストにして武道の達人である人物を追う。
主人公コナーは米軍特殊部隊に武道を指導している。やがて主人公は、作品中で発生した殺人や誘拐事件の背後にアルカイダとつながりのある日本人テロリスト「天狗」が関わっていることを知る。「天狗」はかつての大日本帝国の文化や精神が滅んだことを嘆き、欧米にその責を償わせようとしてテロリストを養成しているのだ。誘拐事件との個人的なつながりからコナーとヤマシタは「天狗」を追うことになる。
戯画化されたような日本イメージではないし、アクションもハリウッド映画的なマッチョなものではない。海外の日本武道愛好家にも評価されている。
しかしタイトルのように天狗をマウンテン・ゴブリンと訳されるような微妙な居心地の悪さも感じてしまう小説である。
この本以外にコナー・バーク武道スリラーとして次の本が出ている。


第1作
Sensei

Sensei

第2作。
Deshi (Connor Burke Martial Arts Book 2) (English Edition)

Deshi (Connor Burke Martial Arts Book 2) (English Edition)

第4作。
Kage: The Shadow A Connor Burke Martial Arts Thriller (English Edition)

Kage: The Shadow A Connor Burke Martial Arts Thriller (English Edition)

第5作
Enzan: The Far Mountain (Connor Burke Martial Arts Thrillers)

Enzan: The Far Mountain (Connor Burke Martial Arts Thrillers)


菊地秀行『ザ・古武道 12人の武神たち』

ザ・古武道―12人の武神たち (光文社文庫)

ザ・古武道―12人の武神たち (光文社文庫)

もう20年以上昔のことだが、『別冊歴史読本』で作家の菊地秀行古武術取材の記事を書いていた。
この本はそれをまとめたもので、私が読んだのも相当前のことだ。現在は電子書籍が出ている。色々と忘れているので、最近読み返してみた。
12人とあるが番外として奈良・柳生の取材があるため13の流派の記事がある。よく考えると西野流は古武道ではないな…。たびたび登場する編集者のN氏は後の火坂雅志であり、巻末に火坂雅志名義で文章を寄せている。
登場した流派・人物を忘れそうなのでメモとして残しておく。

現在では既に故人となった方への取材もあり、短いながらも興味深いエピソードが読める。今の目で見ると疑問点もあるけど、今読み返すような人は多分すぐ分かるポイントだ。

白上一空軒『手裏剣の世界』

この本は、現在では新本は販売されていない。私も近所の図書館で借りて読んだ。

手裏剣の世界

手裏剣の世界

『手裏剣の世界』は昭和51年に出版された手裏剣術の本だ(これは復刻)。
手裏剣術の本として特にエピソードに優れた一冊である。
著者は少年時代に小説を読んで手裏剣にはまり、その後高名な成瀬関次氏の手裏剣術の演武を見て弟子入りした人物で、戦後は手裏剣術・ブーメランの指導でテレビの世界とも関わりがある。成瀬氏から学んだ白井流・根岸流を元に独自の工夫を交えた一空流を創始した。
こうした多彩な来歴もあって、この本に書かれたエピソードも通り一遍のものではない。何しろ手裏剣術の本だというのに冒頭は「世界の投擲技術」であり、石投げ、槍投げ、ブーメランなど世界各国の投擲武器とその技術を解説している。特にまだ現在のように情報がない中でオーストラリアのブーメランの話を元に独自のブーメランを開発するというくだりは、この著者の研究熱心さが伺える。
手裏剣術の歴史や流派の説明、技術についても書かれているのだが、同書の内容としては多彩なエピソードの割合が多く、そちらのほうが記憶に残る。また、この時代の人にありがちな話だが、全てをちゃんとした史料や検証に基づいた内容と受け取るのは危うい。
戦後に高校の教師として手裏剣術を教えた不良生徒が更正したり、アメリカの投げナイフの名人と交流を持ったり、時代劇の手裏剣術に関わったり、あるいは護身術として女性達に手裏剣術を教えたりと、様々な体験談が書かれている。著者の師である成瀬関次氏との交流や成瀬氏の師である利根川孫六氏の逸話もある。単なる手裏剣術だけの本ではなく、この時代の武術家の伝記に近い。戦前から戦後の日本武術の一端を知ることができる興味深い一冊だと言える。

ロシアの軍隊格闘技の原点の一つとしての運動生理学『デクステリティ 巧みさとその発達』

デクステリティ 巧みさとその発達

デクステリティ 巧みさとその発達

ソ連-ロシアの軍隊格闘技の一つカドチニコフ・システマは、その開発段階で運動生理学を参考にしたとされている。
K-Sys: An American Understanding of the Basics of the Kadochnikov Style of Hand-to-Hand Combat FightingにもA.A.カドチニコフは生理学者N.A.ベルンシュタインの研究からカドチニコフ・システマが創始されたとある。
そのニコライ・アレクサンドロヴィチ・ベルンシュタイン(Николай Александрович Бернштейн, 1896-1966)について知るために、彼の著作の唯一の邦訳である『デクステリティ 巧みさとその発達』を読んでみた。


『デクステリティ』が書かれたのはスターリン統治時代だという。
1947年、ベルンシュタインは『動作の構築について』という本を出版し、動作障害の治療に携わる外科医から高い評価を得て、スターリン賞を受賞した。その後、ソ連反ユダヤ主義が高まったことと(ベルンシュタインはユダヤ人)、ベルンシュタインがソ連の権威的研究者であるパブロフの条件反射説を批判したことから、「パブロフを貶める非国民的研究者」として共産党機関紙「プラウダ」で批判記事が書かれた。その結果、ベルンシュタインは職を失い、著作の出版は中止された。
『デクステリティ』の原稿がかつての同僚によって発見されたのは、ベルンシュタインの死後20年が経ってからである。その後ベルンシュタインの業績の再評価が進み、ロシアでは1991年、英語版は1996年、邦訳は2003年に出版された。
1960年代に創始されたカドチニコフ・システマと同書の直接のつながりはないが、カドチニコフが参考にしたベルンシュタインの研究内容は同書の内容に反映されているはずである。


ベルンシュタインが同書で扱う「巧みさ(デクステリティ)」とは、運動課題を解決する能力であり、スピードや力強さではなく制御の機能である。
そして巧みさは、人間の体の自由度が高く適切な動作のために調整が必要なこと、そして環境に適応することと密接につながっている。
たとえば鍛冶屋がハンマーを振り下ろす軌道は毎回異なっているが、打ち付けられる場所は同じである。ベルンシュタインは、この違いを誤差ではなく適宜性の発現ととらえた。

ハンマーを正確に振り下ろす背景にあったのは、同一動作の再現ではなく、多様で柔軟な動作による機能の実現、すなわちその場に適応的な動作の創造であった。

これは、武術の型や練習が鋳型のように固定的な動作を作るものではないとされるのと同じことだと考えていいだろう。
ベルンシュタインは反復練習の重要性を論じている。ベルンシュタインによれば、反復練習の意味は、同じ動作を再現するためではなく、課題解決のプロセスを繰り返すことでよりよい解決策を編み出す能力を身につけるものだとしている。要するに過去の再現ではなく未来の創造のために反復練習があるのだ。従って反復練習には多様な解決のプロセスを含んでいる必要がある。
上で少し言及したベルンシュタインのパブロフ批判の一つもこの点にある。変化する環境の中ではある特定の状況で最適だったパターンを繰り返しても不適切な動作となりうる。予測できない状況に合わせた最適な動作を生み出すのは固定的なパターンを身に付けることではなく、その状況に合わせた動作を生み出す能力なのである。
以前、システマ(リャブコ・システマ)の練習についてパブロフ的な条件反射で説明している文章を読んだことがあるが、そうした考え方は固定したパターン化を避けるシステマにはそぐわない。ベルンシュタインの主張に基づいて考えるほうがはるかに理解しやすい。


同書ではこの「巧みさ」について、数多くのスポーツ、格闘技、兵士のエピソードや昔話・例え話を出しつつ、緻密に解説している。上で紹介した内容はかなりざっくりと削ぎ落としたものだ。難解な言葉が使われているわけではないが、この量と内容はとっつきやすい本だとは言えない。しかしこの種のテーマについて学びたい場合にはお勧めできる本だ。
出版社の紹介と目次→デクステリティ 巧みさとその発達 - 株式会社 金子書房

広まってしまったインチキ江戸『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』

偽史・オカルト史の著作で知られる原田実氏による待望の江戸しぐさ批判本。
近年、教育の世界では江戸時代に町人のマナーとして作られたという江戸しぐさを教える例が増えている。公民の教科書や道徳教材に取り入れられ、自治体の講演や企業研修でも使われている。
しかしこの「江戸しぐさ」、江戸時代のマナーというのは真っ赤な嘘なのである。江戸しぐさの広まりとともにネット上では批判が増え、その嘘や問題点も少しは知られるようになったが、一旦浸透してしまったインチキはなかなか消えない。
この本は、Twitterで過去に何度も江戸しぐさの問題について言及してきた原田実氏がこれまでの氏の調査を元に江戸しぐさの嘘とその来歴、問題点について解説している。
本書にはいくつかのポイントがあるが、私の視点では次のようにまとめられると思う。


(1) 江戸しぐさの嘘。江戸しぐさとされるしぐさが、江戸時代の習慣や記録、事物から考えてありえないこと。
(2) 江戸しぐさのうち特に無理のある部分。江戸しぐさを恐れた明治政府による江戸っ子虐殺や江戸時代の食品としてのトマト入りの野菜スープ、チョコレート入りのパンなど。
(3) 江戸しぐさの歴史。江戸しぐさはいかにして作られたか。その発祥と変容、受容。
(4) 江戸しぐさの教育問題。江戸しぐさに含まれる問題のある内容と、教育にインチキの歴史を持ち込む問題。


本来なら(1)の問題で教育への普及は防げるはずだが、思ったよりも江戸時代の文化が知られていないということもあってか、江戸しぐさは強固に根付いてしまった。この問題について、本書ではネットに過去書かれた内容よりもかなり踏み込んで批判がなされている。
(2)に至っては論外というか、多くの人がおかしいと思うような部分だが、こういった側面はどれだけ知られているのだろう。
また、(3)について、創始者の芝三光やその弟子・越川禮子らの来歴から考察する江戸しぐさの起源・変化については読み物としても面白い。
一方、(4)の教育問題についてはTOSSや掛け算順序問題など多くの例を出したためか、説明不足で少し気になる部分もある。
例えば中国語地名で漢字表記をやめ、カタカナ表記のみになっている問題について。

たとえば、文部科学省と国語審議会では、社会・地理などの教科書・教材に用いる中国語の地名から漢字表記を廃し、カタカナ表記にする方針に向かっている。
(『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』196ページ)

この部分の問題点として、国語審議会は現在存在しない。省庁再編によって廃止され、文化審議会国語分科会が継いでいる。
現在のカタカタ表記の流れや資料を作ったのは国語審議会なのだが、文部科学省と並べて現在の方針として書くのであればおかしな書き方である。


また、掛け算の式の順番を問題文に登場した通りに強制する掛け算順序問題について、次のような記述がある。

そのような考え方になれてしまうと、後で乗法の交換法則を学んだ時にかえって混乱すると思うのだが、現在の小学校教師はカップリングを考える腐女子の如くに掛け算の順序の前後にこだわることを余儀なくされている。
(『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』197ページ)

カップリングと掛け算については、オタク的知識がないと分からない人も多いのではないだろうか。注が欲しかったところだ。また、この書き方だと教師は掛け算の順序にこだわらない教え方を理想と考えており、外部から順序を強制されているかのように読めるが、実際には教師が率先して順序を固定する教育を行っている例がある。これはニュアンスの問題だが…。


些細なことだが、こうした部分については、できれば改めたほうがいいと思う。
本書は江戸しぐさというインチキについて、より多くの人に知ってもらうために必読の本であり、今後も売れると思われるのでなおさらだ。